第四次中東戦争が開戦。(第一次オイルショックへ)
(1973年10月06日)https://ja.wikipedia.org/wiki/オイルショック
しかし、50年代に入ってからは、
オイルショックにともなう低成長経済時代への転換、
世界的な景気低迷、
さらには、わが国産業構造の質的変化などが重なり、
昭和48年の1億2000万トンをピー クとして頭打ちとなり、
その後は、かろうじて1億トン台を維持しながらも低迷を続けるが、
57年には9630万トンとなり、
昭和47年の1億300万トン以来
維持してきた1億トン台の大台を割り、
10年前の生産水準まで落ち込んだ。
しかしながら、世界的には、
昭和55年にアメリカと肩を並べ、
それ以降、ソ連に次ぐ世界第2位の鉄鋼生産国となる。
昭和58年には
世界的な景気回復にともない
再び1億トン台の水準を回復したが、
60年代に入り、円高の影響、
共産圏および中近東経済の低迷等による輸出環境の悪化、
また国内市況の低迷などにより、
61年は再び4年ぶりに1億トンの大台を割っている。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/coj1975/27/1/27_81/_pdf
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