【石原慎太郎】築地を視察 (野中の仲介で内田と和解した直後) ★

(1999年09月01日)

「困った石原氏は就任から数ヶ月後、
当時の小渕恵三首相らに
「議会が回らない」と相談します。
結局、野中広務官房長官の仲介で、
内田氏との手打ちの場が設けられました。
場所は築地の料亭。
石原氏、野中氏と内田氏ら都議三人が向き合い、
石原氏は「よろしくお願いいたします」と頭を下げたのです。」
(内田氏周辺)

その直後、石原氏は、築地市場を視察する。同年九月のことだ。

「週刊文春」(2016年10月6日号)

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-11日の百条委員会で、大矢実元市場長が、
石原都知事が知事選に最初に当選した99年
9月1日に築地市場を視察されたと語った。

当時の印象は?

石原氏

市場として非常に不適格で、
働いている人にとっても、危険な職場だという認識を持った。
建物にアスベスト(石綿)が、
たくさん使われているのは周知のこと。

場合によっては飛散し、
呼吸しますと肺気腫を起こしますし、
肺がんにもつながりかねない。

しかも地下には、かつての米軍の洗濯工場の施設があった。

かつ、皆さんお忘れかも知れないけれど、

かつてのビキニ環礁で行った米国の水爆実験の、
死の灰をこうむった第五福竜丸が、あそこにたどりついて、
汚染されたマグロを陸揚げして、 どこかに埋蔵した。

放射能の総量も損じないし、ベンゼンのように揮発するか分からないが、
福島第1原発の例を見ても、かなりの浸透力を持っている。

働く人たちにどういう影響を与えるか解明されておりませんし、
都民が食べる生鮮食品を扱う施設として、
最も不適切だと思っています。

http://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/1795094.html
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だから、最初に購入を持ち掛けられた芝浦工業大学は、
とんでもないと断って、
豊洲の別の場所に決めてしまった曰く付きの土地。

そこで焦った東京都は青島幸男都政時代に、
今の築地市場は、狭くて古くて汚いという理由で、
豊洲移転計画を唐突に打ち出した。

https://www.sotokoto.net/jp/talk/index.php?id=1&page=2
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反撃「石原慎太郎」インタビュー 移転問題に“私の就任前から豊洲ありきだった”

■「とにかく豊洲ありきだった」

「そもそも、築地市場の豊洲への移転は、
私が知事に就任した1999年4月の時点で
既定路線となっていました。

先代の青島(幸男)君からの『引き継ぎ事項』があって、
そのなかに豊洲移転に関する項目も含まれていたと思う。

都庁の各担当部局には当時の資料が残されているでしょうから、
ぜひ確認してもらいたい。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20170226-00518181-shincho-pol
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