【青島幸男】都知事選で当選

(1995年04月09日)

4期16年の長きにわたり
東京都知事を務めた84歳の鈴木俊一が
不出馬により勇退した。

バブル景気の好況に乗り、鈴木が推進してきた
箱物行政の象徴的存在である世界都市博覧会、
東京臨海副都心開発の処遇が大きな焦点になった。

当時の都議会のオール与党体制に不満を持つ勢力は、
前の島根県出雲市長で、
ユニークな行政手腕の評価が高かった岩國哲人を擁立した。

また、マッキンゼー・アンド・カンパニー出身の経営コンサルタントで、
平成維新の会を立ち上げたばかりの大前研一も
「新・薩長連合」をスローガンに掲げて立候補した。

続いて、自民・社会・公明・民社・自連・連合が推薦し、
さきがけが支持する石原信雄が、
東京都知事選では史上初のオール与党相乗りで立候補した。

石原は鈴木同様自治省出身で
内閣官房副長官を務めた経験があり、
鈴木都政の継承を掲げた。

あらゆる面において
最有力候補と見做されうる人物だったが、
阪神・淡路大震災などの影響で
官房副長官退官が2月までずれ込み、
正式な出馬表明は
告示16日前という慌ただしさで、
中央政界・官界では名前が知られていても
一般都民への知名度で劣る点を
最後まで払拭出来なかった。

そこへ
「世界都市博覧会中止・東京臨海副都心開発見直し」
「破綻した2信組の救済反対」を掲げ、
青島幸男が無党派を標榜して出馬。

告示の13日前だったが、
高い知名度を生かした選挙戦を展開した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/1995年東京都知事選挙

https://ja.wikipedia.org/wiki/青島幸男

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だから、最初に購入を持ち掛けられた芝浦工業大学は、
とんでもないと断って、
豊洲の別の場所に決めてしまった曰く付きの土地。

そこで焦った東京都は青島幸男都政時代に、
今の築地市場は、狭くて古くて汚いという理由で、
豊洲移転計画を唐突に打ち出した。

https://www.sotokoto.net/jp/talk/index.php?id=1&page=2
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