時計づくりは死んだ。時計づくりバンザイ!

(2021年07月23日)

刻々と変化する時計のテクノロジーについての素晴らしくタイムリーな話

先日お届けしたミン(Ming)の新しい時計、20.11モザイクについての話題に、興味深いコメントがあった。この時計はクリエイティブな時計づくりではなくクリエイティブな時計デザインを象徴するものだ、といった趣旨のものだ。このコメントによって私は考えさせられた。今日におけるクリエイティブな時計づくりとは一体何を意味するのか、そしてクリエイティブなデザインとの境界線はどこにあるのだろうかと。

時計づくりとは、あきれるほど分かり切ったことを言ってしまえば、時計を作ることであり、時計とはムーブメントだけのものではない。大きな視点で見れば、ケースのデザイン、ダイヤル、針もすべて時計づくりに含まれる。しかしあのコメントが意味するところは、私が理解したところでは、この時計にはテクノロジー的な観点、つまりムーブメント自体になんら興味深い点がないということである。もちろん、この時計のムーブメントはある種特別なもので、シュワルツ・エチエンヌのマイクロローターキャリバーはありふれたETAやセリタのムーブメントとはかけ離れたものだ。そして部分的なオープンワークや、コントラストの効いた黒いロジウムめっきとダイヤモンドカットの面取りも凡庸なものではない。
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もちろん本当のところ、純粋にテクニカルな機械的側面からいえば、そこにはなんの革新も見られないのは事実だ。この時計はスタンダードなゼンマイを動力とし、従来通りの輪列、レバー脱進機があり、ガンギ車がレバーに弾みを与え、レバーがひとつひとつのチクタクという音を立てるたびにテンプに動きを与える。この時計に普通でない技術的な特徴があるのは、実際のところデザインに関する部分だけで、レーザーエッチングのダイヤルや、針に使われているルミノバ処理をほどこしたセラミックがこれにあたる。

しかしそうなると、クリエイティブな時計づくりと時計デザインを構成する要素はそれぞれ何なのかという疑問が湧き上がってくる。時計づくりの技術面において最も必要とされないものは、創造性だという実感がある。求められているのは以前に機能し、今回も機能して、次回も機能し、そしていつでも変わらず機能するものだ。創造性は、マニフェストを書く狂気に満ちた1920年代のシュルレアリスムの作家には確かに適しているが、時計づくりで求められているのは信頼性と再現性なのだ。

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