ソル・ルウィットがインストラクションによる制作を始める

(1968年)

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ルウィットはドラフツマン(描きの専門家)にこんな指示を与えていた「一人のドラフツマンが任意の直線を10000本描く、1日に1000本、10日間行う、120インチ四方の範囲にだ」こういう指示もある「線は短くなく、真っ直ぐでなく、交差し接触していて、任意に描かれたもので、4色(黄、黒、赤、青)使い、最高の密度で壁面全体をおう」壁に直接描くことによって幻影としての絵画から遠ざかっていたばかりか、壁状にある絵は理論的に言って売買できる代物ではなかった(だが実際にはコンセプトを買うことができたし、新作の依属も可能だった)この種のものは一過性の美術で、展覧会が終わると消すか、上から塗料をぬった、ある壁面作品の場合などは、手仕事でそれを仕上げたドラフツマン自身が消去作業も行うよう指示された。
音楽への情熱も強かったルウィットは自分のコンセプトや指示はパフォーマーのためのスコアのようなものだと語っていたことからすると、作業パラダイムとしては言語ではなく音楽が用いられていることが分かる。