芸術年表(β)

芸術年表(β)

参考図書トニー・ゴドフリー「コンセプチュアル・アート」岩波書店マシュー・ゲール「ダダとシュルレアリスム」岩波書店ジェイムズ・マイヤー「ミニマリズム」phaidonジェフリー・カストナー/ブライアン・ウォリス「ランド・アートと環境アート」phaidonティルマン・オスターヴォルト「ポップ・アート」taschen

1900年
明治33年
-
1901年
明治34年
-
1902年
明治35年
-
1903年
明治36年
-
1904年
明治37年
-
1905年
明治38年
-
クリスティアン・モルゲンシュテルン「絞首台の歌」

クリスティアン・モルゲンシュテルン「絞首台の歌」

(1905年)

クリスティアン・モルゲンシュテルン1905年刊行の詩集。神秘的な内容の詩篇であるが、ドットやダッシュだ…

1906年
明治39年
-
George Shiras「Photographing Wild Game with Flashlight and Camera」

George Shiras「Photographing Wild Game with Flashlight and Camera」

(1906年)

First Wildlife photos in National Geographic

10月

ポール・セザンヌ死去

(1906年10月22日)

1907年
明治40年
-
1908年
明治41年
-
1909年
明治42年
-
1910年
明治43年
-

ロジャー・フライが後期印象派展を組織する。

(1910年)

ロンドンのグラフトンギャラリーで開催されたこの展覧会で、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンの作品が、初期…

アレクサンドル・スクリャビンが「照明付きピアノ」を制作する

(1910年)

当時ワーグナーの「総合芸術制作」の思想が旺盛を極めており、そこでは、音楽、衣装、照明、さらには劇場…

1911年
明治44年
-
1912年
明治45年
-
デュシャンが「階段をおりる裸体(no2)」をアンデパンダン展から引き揚げる。

デュシャンが「階段をおりる裸体(no2)」をアンデパンダン展から引き揚げる。

(1912年)

デュシャンの兄アルベール・グレーズとジャン・メツァンジェ(ともに同展のの審査委員で、教条的なキュビ…

トリスタン・ツァラが雑誌「象徴(シンボル)」を創刊する

(1912年)

ブカレストに在住していたツァラは詩人のイオン・ヴィネアと雑誌「象徴(シンボル)」を創刊した。この雑…

1913年
大正2年
-
ルイジ・ルッソロ「騒音芸術」

ルイジ・ルッソロ「騒音芸術」

(1913年)

イントナルモーリ(騒音発生装置)と名づけられた特別性の機械を用いて、彼は奇怪な音やサイレンの音を作…

1914年
大正3年
-
フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ「ツァン・トゥム・トゥム」

フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ「ツァン・トゥム・トゥム」

(1914年)

リビア戦争の際に、この現代性の先端でおこった事件を体験するために、マリネッティはパリの新聞「アトラ…

ハンス・アルプがパリに到着し、ピカソに出会う。

(1914年)

このころピカソの影響のもとに最初のコラージュを制作する

11月

フーゴ・バルがベルギーへと旅立つ

(1914年11月)

フーゴ・バルはミュンヘンでカマーシュピル(室内劇)劇場の演劇監督などをしていた(1912年)バルは総合…

1915年
大正4年
-
ラウル・デュフィ「対戦の終結」

ラウル・デュフィ「対戦の終結」

(1915年)

1914年6月、サライヴォに親善訪問中だったオーストラリア・ハンガリー帝国の皇太子フランツ・フェルディナ…

オットー・ファン・レース「タネール画廊ポスターのためのデザイン」

オットー・ファン・レース「タネール画廊ポスターのためのデザイン」

(1915年)

ツァラはのちに、この展覧会がチューリヒでのダダの活動の発端となったと述べる。出品者はオットー・ファ…

05月

バルとヒュルゼンベックが「表現主義者の夕べ」を開催する。

(1915年05月12日)

これはイタリア未来派の観衆を挑発するテクニックを採用したものだったので、10日後にイタリアがドイツの…

09月

ハンス・アルプがチューリッヒに到着する

(1915年09月)

ハンス・アルプは戦争を避けて、オランダの抽象画家オットーとアディヤ・ファン・レース夫妻とともにチュ…

1916年
大正5年
-

ダダの出現

(1916年)

チューリッヒの「キャバレー・ヴォルテール」を本拠にしてダダが起こる。この戦争は第一次世界大戦への抗…

02月
キャバレー・ヴォルテールが開店する。

キャバレー・ヴォルテールが開店する。

(1916年02月)

キャバレー・ヴォルテール開店告知のチラシチューリッヒ・ダダの中核となったこの場所で、フーゴ・バルと…

トリスタン・ツァラら4人がキャバレー・ボルテールへやってくる。

(1916年02月02日)

バルがキャバレー・ヴォルテールの開店を新聞で予告し、「チューリッヒの若い芸術家たち」の協力を呼びか…

キャバレ・ヴォルテール最初のパフォーマンス

(1916年02月05日)

この夜のキャバレ最初のパフォーマンスは、チューリッヒの街に国際的な前衛芸術を導入する機会となった。…

03月
「キャバレの演目つきダダの夕べ」

「キャバレの演目つきダダの夕べ」

(1916年03月31日)

ここでトリスタン・ツァラによる複数のパートが同時に語られる「同時進行詩」のパフォーマンスが初めて公…

04月

「ダダ」という名称が考案される

(1916年04月18日)

バルは雑誌「キャバレ・ヴォルテール」の序文でもう1つの雑誌の刊行を約束してこう書いた「この雑誌はチュ…

05月

「ヴォルテール芸術協会の一大夜会」

(1916年05月)

演し物には「アイネ・クリッペンシュピール(キリスト降誕劇)」と題されたバルの「騒音主義コンサート」…

06月

雑誌「キャバレ・ヴォルテール」が刊行される

(1916年06月)

「ナショナリズム敵解釈を避けるために、本誌の編者はこの雑誌が「ドイツ精神」とは無関係である事を宣言…

フーゴ・バル「象の隊商」

フーゴ・バル「象の隊商」

(1916年06月23日)

フーゴ・バルの実演この作品では、音節ごとに区切られた一連の音声を発する事で、音のリズムや発声法や音…

07月

「ヴァーグ」ギルド会館での「ダダの夕べ」

(1916年07月14日)

バルとツァラがそれぞれの宣言を朗読したが、それはダダとは何かを説明するように見えて、この問いへのい…

08月

トリスタン・ ツァラとマルセル・ヤンコが徴兵対象者となる

(1916年08月28日)

ルーマニアが英、仏、ロシア側で参戦する

11月

トリスタン・ ツァラが徴兵対象者から除外される。

(1916年11月)

ツァラは精神異常者を装って見事成功し、軍務不適格者の証明書を手に入れた(アルプも、ドイツ側の検査を…

1917年
大正6年
-
マルセル・デュシャン「fountain(泉)」

マルセル・デュシャン「fountain(泉)」

(1917年)

デュシャンが「泉」を制作する、このとき独立芸術家協会の会長はリアリズム画家ウィリアムズ・グラッケン…

01月

コレー画廊で「ダダ」展が開催される

(1917年01月)

この展覧会にはアルプ、ヤンコ、スロドキ、オッペンハイマー、リュティ、オットーとアディヤ・ファン・レ…

03月

ギャラリー・ダダがオープンする

(1917年03月)

ハン・コレーは常設画廊に場所を提供し、ツァラとバルの共同経営であらたにギャラリー・ダダが開かれる。…

07月

トリスタン・ツァラ「芸術に関するノート18番」(「ダダ1」)

(1917年07月)

芸術はいまのところ自己充足的な構造をもつ唯一の構造であり、それについてはもう何もいうことはない。芸…

1918年
大正7年
-

トリスタン・ツァラによる「ダダ宣言」(第2ダダ宣言)

(1918年)

「ダダは何も意味しない…新聞によればクルー族の黒人は聖なる牛の尾をダダと呼ぶ。立方体と母親は、イタリ…

1919年
大正8年
-

マックス・エルンストとヨハネス・バールゲルトのダダ

(1919年)

ケルンの美術協会の展覧会に招待されたマックス・エルンスト、ヨハンネス・バールゲルトは別室での展示を…

1920年
大正9年
-
フランシス・ピカビア「セザンヌの肖像画」

フランシス・ピカビア「セザンヌの肖像画」

(1920年)

セザンヌの肖像画/レンブラントの肖像画/ルノワールの肖像画/静物画

12月

トリスタン・ツァラ「か弱い愛とほろ苦い愛についての宣言」

(1920年12月)

ダダの詩をつくるために.新聞をとりなさい.はさみをとりなさい.新聞からあなたが詩にしたいだけの長さの記…

1921年
大正10年
-
アレキサンダーロドチェンコによるモノクローム絵画三点が描かれる

アレキサンダーロドチェンコによるモノクローム絵画三点が描かれる

(1921年)

「Pure Red Color, Pure Blue Color, and Pure Yellow Color」

フランシス・ピカビア「カコジル塩酸の眼」

フランシス・ピカビア「カコジル塩酸の眼」

(1921年)

ピカビアのサロンには「眼」のみが描かれた大きなカンヴァスが置いてあり、その脇には絵の具の壺がいくつ…

モーリス・バレス(社会主義者だったのが愛国者に転じた)のダダによる裁判をブルトンが組織する。ピカビアがダダを離れる。

(1921年)

ピカビアは報道陣に向けてこう語る「ダダは自由と生きることの精神を求めていたが、今や英雄伝となり、キ…

1922年
大正11年
-
1923年
大正12年
-
ナウム・ガボ「column」

ナウム・ガボ「column」

(1923年)

1975年再制作

1924年
大正13年
-
1925年
大正14年
-
1926年
大正15年
-
12月

パンジャマン・ペレの「実行行動による宣伝活動」

(1926年12月01日)

シュルレアリストのパンジャマン・ペレがカトリック教司祭に向かって罵倒を投げかける様が「シュルレアリ…

1927年
昭和2年
-
ルネ・マグリット「 The living mirror」

ルネ・マグリット「 The living mirror」

(1927年)

L'usage de la paroleThe lost world, 1928The lost world 1928The empty mask 1928The literal mean…

1928年
昭和3年
-
1929年
昭和4年
-
ルネ・マグリット「イメージの裏切り」制作

ルネ・マグリット「イメージの裏切り」制作

(1929年)

パイプが描かれ、下にはフランス語で「これはパイプではない」と書かれている

ニューヨーク近代美術館(MOMA)設立

(1929年)

ニューヨーク近代美術館(MOMA)設立、特に、建築、商品デザイン、ポスター、写真、映画など、美術館の収…

1930年
昭和5年
-
1931年
昭和6年
-
1932年
昭和7年
-
1933年
昭和8年
-
1934年
昭和9年
-
1935年
昭和10年
-
1936年
昭和11年
-
1937年
昭和12年
-
1938年
昭和13年
-
1939年
昭和14年
-
1940年
昭和15年
-
1941年
昭和16年
-
1942年
昭和17年
-
ニューヨークにて「ファースト・ペーパーズ・オブ・シュルレアリスム」展

ニューヨークにて「ファースト・ペーパーズ・オブ・シュルレアリスム」展

(1942年)

ここでデュシャンは全展示作品を何マイルもの長さのひもでつなげ、見る人の通路や視野を邪魔し。文字通り…

1943年
昭和18年
-
1944年
昭和19年
-
1945年
昭和20年
-
アド・ラインハートの漫画

アド・ラインハートの漫画

(1945年)

男「何を表してる(represent)んだか…」絵画「そういうお前はなにを代表している(repre-sent)のか?」

フランシス・ピカビア「仮面と鏡」

フランシス・ピカビア「仮面と鏡」

(1945年)

制作年代1930〜1945年推定

1946年
昭和21年
-

デュシャンによるダダの回顧

(1946年)

デュシャン「ダダは絵画の物理的な側面への極端な抗議だった、形而上学的な姿勢だった。それは「文学」と…

1947年
昭和22年
-
イサム・ノグチ「スカルプチュア・トゥー・ビー・フロム・マーズ」

イサム・ノグチ「スカルプチュア・トゥー・ビー・フロム・マーズ」

(1947年)

台紙上の砂に描かれた模型。実現はしなかったノグチは1933-1937年にかけて公共空間に展示する作品の設計を…

1948年
昭和23年
-

コンスタン・アントン・ニューウェンヒュス。クリスティアン・ドトルモント。アスガー・ヨルンらによってコブラ(COBRA)が結成される

(1948年)

コンスタン・アントン・ニューウェンヒュス。クリスティアン・ドトルモント。アスガー・ヨルンらによって…

1949年
昭和24年
-

COBRA「時代を超えた事物」展

(1949年)

COBRAによってブリュッセルで開かれた「時代を超えた事物」展では文章と日用品以外なにも展示されず、ドト…

1950年
昭和25年
-
1951年
昭和26年
-

「実験工房」結成

(1951年)

実験工房(じっけんこうぼう)は、詩人の瀧口修造の下にさまざまな分野の若手芸術家約14人が集まって結成…

イジドール・イスー「永遠性論文をめぐるたわごと

(1951年)

イジドール・イスーの映画「永遠性論文をめぐるたわごと」にはひっかき切り裂いたフィルムが挿入され、サ…

ラウシェンバーグ「ホワイトペインティング」

ラウシェンバーグ「ホワイトペインティング」

(1951年)

ラウシェンバーグが「ホワイトペインティング」の制作を始める。この後これらが汚れてくることに気づき、…

1952年
昭和27年
-

最初の「ハプニング」

(1952年)

アメリカノースカロライナ州ブラック・マウンテンカレッジにて最初のハプニング このときのメンバーはラウ…

ギ・ドゥボール「サドを応援する叫び」

(1952年)

ギ・ドゥボールによる「サドを応援する叫び」上映。黒一色の画面だけで無音、定期的にこの黒に一瞬光がま…

08月
1953年
昭和28年
-
ラウシェンバーグ「消されたデ・クーニングのドローイング」

ラウシェンバーグ「消されたデ・クーニングのドローイング」

(1953年)

ラウシェンバーグはデ・クーニングに接近し、デ・クーニングのドローイングを消去する作品を作る

1954年
昭和29年
-

兵庫で「具体美術協会」結成

(1954年)

「人の真似をするな」という吉原の指導のもと、従来の表現や素材を次々と否定して新しい美術作品を生み出…

1955年
昭和30年
-
1956年
昭和31年
-
1957年
昭和32年
-

ピエロ・マンゾーニ「無色」

(1957年)

ピエロ・マンゾーニ(アクローム{無色})最初はカンバスに生の石膏を塗っていたが、のちになると、布に…

国際情況主義派(シチュアシオニスト)誕生

(1957年)

国際情況主義派(シチュアシオニスト)誕生これは「レトリスト・アンテルナシオナル(国際文字派)※超文学…

イブ・クラインがミラノで同一のモノクローム絵画11点を展示する

(1957年)

この絵画は、物質性を強調するために、棒を使って壁から離して展示されたが、作品ごとに価格に差を付けた…

1958年
昭和33年
-

イヴ・クライン「無色」展

(1958年)

イヴ・クライン「ル・ヴィッド」展、パリのイリス・クレール画廊での展覧会。「ル・ヴィッド(空白)」で…

ケネス・ノーランド「ターゲット」シリーズ

ケネス・ノーランド「ターゲット」シリーズ

(1958年)

ケネス・ノーランドのTargets(1958〜1962}のような作品は、下塗りしていないキャンバスに大胆な色使いを見…

ラ・モンテ・ヤングの出現

(1958年)

バークレー大学音楽院の教授シーモア・シフリンはラ・モンテ・ヤングという大学院生が提出した作曲に狼狽…

イヴ・クライン「非物質的な絵画的な感性ゾーン」

(1958年)

クラインは(非物質的な絵画的な感性ゾーン)(言葉通り、作品の実物はなにもなかった)を指定量の黄金と…

ピノット・ガリツィオ「工業絵画」

(1958年)

情況主義派のピノット・ガリツィオが「工業絵画」を展示する。細長い100M以上の画面を使い、万人のための…

1959年
昭和34年
-

アラン・カプロウ「6パートからなる18のハプニング」

(1959年)

ニューヨークのルーベン画廊でアラン・カプロウによる「6パートからなる18のハプニング」という展覧会を行…

1960年
昭和35年
-
10月

ヌーヴォ・レアリスト「ル・プラン(満杯)」展

(1960年10月13日)

ヌーヴォ・レアリスト達によってイリス・クレール画廊に廃物を押し込めるだけ押しこんだ「ル・プラン(満…

ヌーヴォ・レアリスト結成

(1960年10月17日)

批評家のピエール・レスタニーはイヴクラインのアパートでアルマン、ダニエル・スポエリら都市の廃物や破…

1961年
昭和36年
-
ジョージ・ブレクト「椅子のイベント」

ジョージ・ブレクト「椅子のイベント」

(1961年)

グループ展「環境、状況、空間」出品作品。ギャラリーのスポットライトの下に一つ、トイレに一つ、正面の…

ロバート・モリス「column」制作

ロバート・モリス「column」制作

(1961年)

明確に意識されたミニマル彫刻としては始めての作品

スタンリー・ブラウン「ディス・ウェイ・ブラウン」

スタンリー・ブラウン「ディス・ウェイ・ブラウン」

(1961年)

ブラウンはアムステルダムの通行人に道を尋ね、書いてもらった地図を作品として展示した。

ピエロ・マンゾーニ「芸術家の糞」

(1961年)

マンゾーニ自身の排泄物を「30グラム、自然保存」とラベルが貼られた金属製の缶詰に封印し、当日の30グラ…

ジョージ・マチューナス{アドリアーノ・オリヴェッティ追悼}

(1961年)

マチューナス構成のイベント{アドリアーノ・オリヴェッティ追悼}10名の参加者それぞれがオリヴェッティ…

ロバート・モリス「門シリーズ」

ロバート・モリス「門シリーズ」

(1961年)

「松製の門」門松の門と鏡

1962年
昭和37年
-
ロバート・モリス「card file」

ロバート・モリス「card file」

(1962年)

図書館用のカード・ファイルで、一枚一枚のプラスティックの索引ラベルにこれを作る基礎になった抽象観念…

エド・ルーシャ「26のガソリンスタンド」

エド・ルーシャ「26のガソリンスタンド」

(1962年)

エド・ルーシャが「26のガソリンスタンド」を制作(出版)ロサンゼルス(彼の生まれた地)とオクラホマ(…

ロバートモリスの創造性

(1962年)

ロバート・モリスによるパフォーマンス。幕が上がると高さ2・4M、幅0・6Mの灰色に塗られた木の柱が現れて…

アメリカ合衆国で最初のポップアート展覧会「New Painting of Common Objects」展開催

(1962年)

1ロイ・リキテンスタイン、アンディ・ウォーホル、ロバート・ダウド(Robert Dowd)、フィリップ・ヘファ…

09月
1963年
昭和38年
-

ピエロ・マンゾーニ死去

(1963年)

計画が実現しなかった多くの作品のうちのいくつかの作品として、20羽の白い鶏(生命のある、鳴きわめく、…

エド・キーンホルツの概念タブロー

(1963年)

キーンホルツによる概念タブロー。自身の作品の制作指示書で、持ち主が希望すれば制作委属ができる。購入…

マチューナスによる「フルクサス」宣言

(1963年)

ジョージ・マチューナスによる「フルクサス」宣言その顔ぶれはヤングとその仲間たち。ジョージ・ブレヒト…

ジョージ・マチューナス「ドリップ・ミュージック」

ジョージ・マチューナス「ドリップ・ミュージック」

(1963年)

アムステルダムにてパフォーマンス

02月
1964年
昭和39年
-
マルセル・ブロータス、アーティスト活動開始

マルセル・ブロータス、アーティスト活動開始

(1964年)

マルセル・プロタース、アーティスト活動開始「汚い思考」制作。売れ残った自分の本にゴムボールと石膏の…

ヨルゲン・ナッシュが人魚の首をとる

ヨルゲン・ナッシュが人魚の首をとる

(1964年)

「第二次国際情況主義派」のメンバー(ユルゲンナッシュ{アスガー・ヨルンの弟}などの一派)によってコ…

イーアイン・バクスターの氷を使った作品

イーアイン・バクスターの氷を使った作品

(1964年)

イーアイン・バクスターが2トンの氷の壁が解けていく作品を制作。消失、非恒久性、変化、破壊という概念を…

ヤング、パイク、オノら、フルクサスのパフォーマンスの破壊的傾向に不満を抱き脱退。

(1964年)

マチューナスの指示による「フルクサス」のパフォーマンスは寄席芸であり、バルやツァラのダダイストの浅…

クリスト「 Purple Store Front 」

クリスト「 Purple Store Front 」

(1964年)

orange store frontgreen store front

ポール・セック「無題(#75)

ポール・セック「無題(#75)

(1964年)

And untitled(#76)

1965年
昭和40年
-
アラン・ソンフィスト「タイム・ランドスケープ」

アラン・ソンフィスト「タイム・ランドスケープ」

(1965年)

ニューヨーク市内5つの独立区にある名もない都会のサイトを、植民地時代以前の17世紀頃の風景につくり変え…

コンセプチュアル・ミニマルアーティストらがニューヨークに集まり始める

(1965年)

この時期ミニマルの作家とコンセプチュアルの作家がニューヨークの「マックスのカンザスシティ・バー」に…

ソル・ルウィットの木のミニマリズム作品

(1965年)

ソル・ルウィットが木のミニマル彫刻を展示する。画廊のディレクター、ダン・グレアムには終わったら薪に…

エリオ・オイティシカ「パランゴレ」

(1965年)

エリオ・オイティシカ「パランゴレ」制作。作品は布製で旗にも衣服にもなる。たいていは言葉が縫い付けて…

アメリカで「新しい日本の絵画と彫刻展」

(1965年)

米国で「新しい日本の絵画と彫刻展」展キュレーターはウィリアム・S・リーバーマン(篠原有司男は選外)

ピーター・ビアードがアフリカの環境変化をテーマにした写真集「ジ・エンド・オブ・ゲーム」を出版する

(1965年)

「1964年から1965年にかけてツァヴォ国立公園で乱獲されるアフリカ像の屍を記録し続け、白人探検家やハン…

1966年
昭和41年
-
ダン・グレアム「アメリカのための家」

ダン・グレアム「アメリカのための家」

(1966年)

カラー写真と言えば、休暇に出かけて撮るスナップ写真や、雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」の光沢の…

ニューヨーク「プライマリー・ストラクチャーズ」展

(1966年)

ニューヨークにて「プライマリーストラクチャーズ」展、カーロの作品が注目を集めると思われたが、予想外…

雑誌「アート=ラングエージ」第一号が刊行される

(1966年)

「アート・アンド・ラングエージ」というグループの4人のメンバー(テリー・アトキンソン、デイヴィッド・…

01月
12月
メル・ボフナー「必ずしも芸術として見られるつもりのない下絵と紙の上の視覚的なものたち」

メル・ボフナー「必ずしも芸術として見られるつもりのない下絵と紙の上の視覚的なものたち」

(1966年12月)

アーティストとしてではなく美術史を教えていたメル・ボフナーは、クリスマスにちなんだドローイング展の…

1967年
昭和42年
-
リチャード・ロング「a line made by walking」

リチャード・ロング「a line made by walking」

(1967年)

ロングはロンドンのセント・マーチンズ・スクール・オブ・アート在学中にこの作品を制作した。初期の作品…

ジョン・バルデザーリ「この絵がやろうと目指していること」

ジョン・バルデザーリ「この絵がやろうと目指していること」

(1967年)

画中の英文の翻訳「かなりの時間絵を描き続けないと起こらないことだが、構図がインパクトに欠けているー…

ジェルマーノ・チェラント「アルテ・ポーヴェラ」という言葉を発案

(1967年)

「平凡なものがアート界に入ってきたわけだ…身体の介在や行為がアートになった。言語がもっていた道具とし…

ソル・ルウィットが「コンセプチュアル・アートに関するパラグラフ」を著し、明確にコンセプチュアル・アートが浸透し始める。

(1967年)

「アートフォーラム」誌上においてソル・ルウィットが「コンセプチュアル・アートに関するパラグラフ」を…

アスガー・ヨルンの回顧

(1967年)

アスガーヨルンが過去を振り返り「50年代後半と60年代初期の反芸術は、視覚芸術は創造性と思考のための媒…

ロバート・モリス「ファイバー・グラスシリーズ」

ロバート・モリス「ファイバー・グラスシリーズ」

(1967年)

ファイバー・グラスクラウドファイバー・グラスフレーム

06月
ハンス・ハーケ「スカイ・ライン」

ハンス・ハーケ「スカイ・ライン」

(1967年06月23日)

ヘリウムを入れた風船がニューヨークのセントラルパークで放たれ、空に鮮やかな線を描いた。

1968年
昭和43年
-
ソル・ルウィットがインストラクションによる制作を始める

ソル・ルウィットがインストラクションによる制作を始める

(1968年)

ルウィットはドラフツマン(描きの専門家)にこんな指示を与えていた「一人のドラフツマンが任意の直線を1…

デニス・オッペンハイム「salt flat」

デニス・オッペンハイム「salt flat」

(1968年)

オッペンハイムは、454kgの塩をアスファルト上の長方形にまいた。同僚の塩が、30×30×60cmの家畜用岩塩の形…

ロバート・スミッソン「corner piece」

ロバート・スミッソン「corner piece」

(1968年)

これは小石や砂、岩、塩、石版、赤い砂岩を使って画廊にしつらえられた、一連のコーナーを使った作品の一…

ローレンス・ウェイナーによる芸術宣言

(1968年)

1芸術家(私)が作品を作るかもしれない。The artist may construct the piece.2作品が(受け手によって)…

デニス・オッペンハイム「サイト・マーカーズ」

(1968年)

これは様々な場所にただ杭を地面に打ち込んで、その場所を指定したり「場所を占有する」というものだった…

Clive Barker 「Two Cokes」

Clive Barker 「Two Cokes」

(1968年)

Coke with Two Straws

03月
ダン・グレアム「無題(具象)」

ダン・グレアム「無題(具象)」

(1968年03月)

ダン・グレアムは「ハーパーズ・バザール」や「ニューヨーク・レビュー・オヴ・セックス」といった雑誌に…

04月
ウォルター・デ・マリア「マイル・ロング・ドローイング」

ウォルター・デ・マリア「マイル・ロング・ドローイング」

(1968年04月)

マリアはカリフォルニアのモハヴェ砂漠にチョークで一マイルにわたる2本の線を引いた。デ・マリアが2本の…

06月
10月
1969年
昭和44年
-
ハンス・ハーケ「グラス・グロウズ」

ハンス・ハーケ「グラス・グロウズ」

(1969年)

ハンス・ハーケは草の種をまぶした土で小さな塚をつくって展示した。ハンス・ハーケの初期の作品では加工…

ロバート・バリー「展覧会期間中はギャラリーは閉鎖」

ロバート・バリー「展覧会期間中はギャラリーは閉鎖」

(1969年)

ロバート・バリーはアムステルダムの「アート・プロジェクト・ギャラリー」で行った展示で、正面のドアに…

ヤニス・クネリス「無題」

ヤニス・クネリス「無題」

(1969年)

ローマの展覧会に招かれたヤニス・クネリスは12頭の生きた馬を持ち込み、現場に厩舎を作って飼育した。

ウォルター・デ・マリア「すべて電話で」

ウォルター・デ・マリア「すべて電話で」

(1969年)

ウォルター・デ・マリアは床に電話機を設置し、その脇に「もし電話が鳴ったら、受け取ってもかまいません…

リチャード・セラ「 throwing lead」

リチャード・セラ「 throwing lead」

(1969年)

セラが溶けた鉛を壁に投げつける

クリストとジャンヌ=クロード 「wrapped coast」

クリストとジャンヌ=クロード 「wrapped coast」

(1969年)

断崖が連なるつつまれた海岸は、長さ約2・5m、幅46−244m、高さは北側の崖部分が26m、南側の砂浜では海…

ウォルター・デ・マリア「las vegas piece」

ウォルター・デ・マリア「las vegas piece」

(1969年)

(las vegas piece)は、4本の溝から成っている。2本は長さ1・6kmで、もう2本は804mで、正方形を形つくる…

ロバート・スミッソン 「incidents of mirror-travel in the yucatan」

ロバート・スミッソン 「incidents of mirror-travel in the yucatan」

(1969年)

スミッソンは、この9つの異なる場所における一連の写真を使って、風景の中を旅した足跡を辿っている。スミ…

ナンシー・ホルト 「the last map used to locate buried poem」

ナンシー・ホルト 「the last map used to locate buried poem」

(1969年)

これらの埋められた詩編はプライベートな作品である。ホルトはこの詩を5人の別々の人たち(マイケル・ハイ…

アンセルム・キーファ「ヒロイック・シンボル」

アンセルム・キーファ「ヒロイック・シンボル」

(1969年)

MediumPhotograph, black and white, on paper

ロバート・スミッソン 「glue pour」

ロバート・スミッソン 「glue pour」

(1969年)

バケツとニカワが土と斜面にまかれる。ニカワは斜面を流れながら、地面にしみ込んだり、浮いた土くれを引…

ロバート・スミッソン 「asphalt rundown」

ロバート・スミッソン 「asphalt rundown」

(1969年)

ダンプカーが、採石場の廃棄された一面の斜面に沿ってアスファルトを投棄した。アスファルトは土と混じり…

ダニエル・ビュランのワイド・ホワイト・スペースとジョン・ウェバー画廊での展示

ダニエル・ビュランのワイド・ホワイト・スペースとジョン・ウェバー画廊での展示

(1969年)

ワイド・ホワイト・スペースでの展示ジョン・ウェバー画廊での展示画廊の内と外、美術館と巷間への意識が…

ベルン(スイス)にて「態度が形態になるとき」展

(1969年)

ハラルド・ゼーマンはベルン美術館のキュレターとして、影響の大きかった展覧会「態度が形態になるとき:…

委託絵画

委託絵画

(1969年)

抽象画家アル・ヘルドが「すべてのコンセプチュアル・アートはものを指差しているだけだ」と述べる。ジョ…

ハンス・ハーケ「fog,flooding,erosion」

ハンス・ハーケ「fog,flooding,erosion」

(1969年)

スプリンクラーがつけっぱなしで、周りの草を水びたしにしている。散水も度が過ぎると、養分を与えるので…

チルド・メイレレス「geographical mutations:rio-sao paulo border」

チルド・メイレレス「geographical mutations:rio-sao paulo border」

(1969年)

このプロジェクトは風景の形を変えることに関わっている。ここに記録されている作品は、リオデジャネイロ…

ロバートスミッソンがニューヨークで「アースワーク展」を催す

ロバートスミッソンがニューヨークで「アースワーク展」を催す

(1969年)

集合写真ロバート・モリス「earthwork」ニューヨーク、ドワン画廊で行われた「アースワーク」展に出品され…

マイケル・ハイザー「ダブル・ネガティブ」

マイケル・ハイザー「ダブル・ネガティブ」

(1969年)

ハイザーはこう言っている。「ダブル・ネガティブというタイトルには無理がある。そこには何もない。それ…

ジョセフ・コスース「哲学のあとの芸術」

(1969年)

雑誌「ステュディオ・インターナショナル」にコスースの論文「哲学のあとの芸術」が発表される。「コンセ…

01月

ニューヨークの画商セス・シーゲローブによる「1969年1月5ー31日」展

(1969年01月05日)

アメリカで一般にコンセプチュアル・アート発祥の展覧会と展覧会と見られているのは、ニューヨークの画商…

04月
ヤン・ディベッツ「12 hours tide objects with correct of perspective」

ヤン・ディベッツ「12 hours tide objects with correct of perspective」

(1969年04月15日)

この作品はゲリー・シュウムのテレビ映画「ランドアート」展用につくられたもので、これは1969年4月15日に…

ドイツのテレビが「ランド・アート」と題する「テレビ展覧会」を放映する

ドイツのテレビが「ランド・アート」と題する「テレビ展覧会」を放映する

(1969年04月15日)

ディレクターのゲリー・シュムは数人のアーティストに短いシークエンスの構想作り、ないしはその監督を依…

09月
ルーシー・リパードがシアトルにて「557、087」と題する展覧会を組織する

ルーシー・リパードがシアトルにて「557、087」と題する展覧会を組織する

(1969年09月)

題名は同市の人口で、62名の出展作家の作品は目立たない片隅や予期せぬ場所を含め、会場全体に拡散してい…

1970年
昭和45年
-
ロバート・スミッソン「partially buried woodshes」

ロバート・スミッソン「partially buried woodshes」

(1970年)

ケント州立大学のキャンパスに建てられた隠喩に満ちたモニュメントで、廃棄された薪小屋の屋根に梁が折れ…

ピーター・ハッチンソン「paricutin volcano project」

ピーター・ハッチンソン「paricutin volcano project」

(1970年)

ハッチンソンは、パリクティン火山の頂上周辺に、ビニール袋に入れた白パンを76mにわたって並べた。パン…

ポール・コス「融ける氷の音」

ポール・コス「融ける氷の音」

(1970年)

サンフランシスコで、キュレーターでありアーティストであるトム・マリオーニが大げさに「コンセプチュア…

メル・ボフナー「誤解(写真の理論)」

メル・ボフナー「誤解(写真の理論)」

(1970年)

ボフナーは1970年に「誤解(写真の理論)」を敢行した。複製写真を1枚と検索カード9枚、それぞれに著名な…

ロバート・スミッソン「スパイラル・ジェティ」制作

ロバート・スミッソン「スパイラル・ジェティ」制作

(1970年)

「このサイトは、巨大な円を描いて自分自身を取り込んでいくロータリーだ。その回転する空間から「スパイ…

チルド・メイレレス「condensations 2-geographical  mutations:rio-sao paulo border」

チルド・メイレレス「condensations 2-geographical mutations:rio-sao paulo border」

(1970年)

この作品は、メイレレスが彼の(geographical mutations)をミニチュア化してつくった多くの作品の一つだ…

04月

ニューヨ-クにて「コンセプチュアル・アートとコンセプチュアル・アスペクト(側面)」展

(1970年04月)

1970年4月ニューヨーク文化センターで開催された展覧会「コンセプチュアル・アートとコンセプチュアル・ア…

05月
ニューヨーク・アート・ストライキ

ニューヨーク・アート・ストライキ

(1970年05月22日)

群衆にはカール・アンドレ(中央左の長い髭面)、ロバート・モリス(中央の短い髭面)、メル・ボフナー(…

06月

トリノ(イタリア)にて「コンセプチュアル・アート、アルテポーヴェラ、ランドアート」展

(1970年06月)

ジェルマーノ・チェラントが組織した展覧会「コンセプチュアル・アート、アルテ・ポーヴェラ、ランド・ア…

07月

ニューヨークにて「インフォメーション」展

(1970年07月)

1970年7月ニューヨーク近代美術館は「インフォメーション」展を開いた。モダニズムの要塞が概念芸術をしぶ…

ハンス・ハーケ「the turtles set free」

ハンス・ハーケ「the turtles set free」

(1970年07月20日)

暗示的なジェスチャーとして、ハーケはペットショップから(絶滅が危惧されている)カメを10匹買ってから…

11月
ダグラス・ヒュブラー「可変的作品34番(部分)」

ダグラス・ヒュブラー「可変的作品34番(部分)」

(1970年11月)

1970年11月、40名の写真を撮った「美しい顔をしている」と撮影者が言った直後の撮影である。40名の写真と…

1971年
昭和46年
-
ロバート・スミッソン「sunken island」

ロバート・スミッソン「sunken island」

(1971年)

(sunken island)は、この作品を敷設する礁湖の底から採った岩を固めてつうったものだ。岩の表面は小さな…

チャールズ・シモンズ「landscape-body-dwelling」

チャールズ・シモンズ「landscape-body-dwelling」

(1971年)

この作品では、シモンズは自分の肉体を風景にして、空想上の「小人」の住処を作った。彼は体全体を使って…

ライナー・ルーテンベック「アパートメントの事物Ⅱ」

ライナー・ルーテンベック「アパートメントの事物Ⅱ」

(1971年)

アートが日常だとするなら、それは日常的な情況で作れるはずだ。ほかの品々を保管しておくのと同じ場所ー…

chris burden「shoot」

chris burden「shoot」

(1971年)

アシスタントに拳銃で腕を撃たせるパフォーマンス