吉田松陰と勝海舟の比較

年代 吉田松陰 勝海舟
1823年

江戸本所亀沢町で生まれる

(1823年)

文政6年(1823年)、江戸本所亀沢町の生まれ。父・小吉の実家で…

1830年

山口県萩市で生まれる

(1830年09月20日)

1830年9月20日(文政13年8月4日)、長門国萩松本村(現・山口県…

1834年

吉田大助の仮養子となる

(1834年)

父の弟である吉田大助の仮養子となる。吉田家は山鹿流兵学師範…

1835年

玉木文之進に教育される

(1835年)

大助の死とともに吉田家を嗣ぐ。兵学師範としての職責を果たせ…

1838年

家督相続

(1838年07月27日)

家督相続し、小普請組に入り、40俵扶持。

1840年

兵学教授として出仕

(1840年)

藩主毛利敬親の御前で「武教全書」戦法篇を講義し、藩校明倫館…

1842年

松下村塾開塾

(1842年)

叔父の玉木文之進が私塾を開き松下村塾と名付ける。

1845年

佐久間象山らに学ぶ

(1845年)

山田亦介(村田清風の甥)から長沼流兵学を学び、翌年免許を受…

1851年

脱藩

(1851年)

東北地方へ遊学する際、通行手形の発行が遅れたため、肥後藩の…

1852年

士籍家禄を奪われる

(1852年)

脱藩の罪で士籍家禄を奪われ杉家の育(はごくみ)となる。

1853年

軍艦乗り込みに失敗

(1853年)

米国のペリー艦隊の来航を見ており、外国留学の意志を固め、同…

1854年

野山獄に幽囚される

(1854年)

ペリーが日米和親条約締結の為に再航した際には金子と二人で停…

1855年

松下村塾の主宰者となる

(1855年)

生家で預かりの身となるが、家族の薦めにより講義を行う。その…

海軍伝習重立取扱と就る

(1855年07月29日)

1856年

講武所砲術師範役と就る

(1856年03月11日)

1858年

再び投獄

(1858年)

幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非…

1859年

斬首刑に処される

(1859年)

幕府は安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令する。松…

1860年

品川より咸臨丸出航。

(1860年01月13日)

サンフランシスコに入航。

(1860年02月26日)

閏3月8日、サンフランシスコを出航。改元して万延元年5月6日、…

江戸に帰府。

(1860年05月07日)

石高400石

(1860年06月24日)

天守番頭過人・蕃書調所頭取助と就る。石高400石取りとなる。

1861年
1862年
文久2年

二の丸留守居格軍艦操練所頭取に異動。

(1862年07月04日)

閏8月17日、軍艦奉行並に異動。役高1000石。

1864年
文久4年

神戸操練所運営を委任される

(1864年02月05日)

2月5日、摂海警衛及び神戸操練所運営を委任される。改元して元…

1866年
慶応2年
1867年
慶応3年

海軍伝習掛を兼帯

(1867年03月05日)

1868年
慶応4年

海軍奉行並に異動

(1868年01月17日)

役高5000石。列座は陸軍奉行並の上。

陸軍総裁に異動

(1868年01月23日)

列座は若年寄の次座。

西郷隆盛と会見

(1868年03月13日)

3月13日と同月14日、薩摩藩江戸藩邸にて西郷隆盛と会見。同日、…

1869年
明治2年

諱を安芳と改める

(1869年07月13日)

7月18日、維新政府の外務大丞に任官。8月13日、外務大丞を免ず。

兵部大丞に任官

(1869年11月23日)

1870年
明治3年

兵部大丞を免ず

(1870年06月12日)

1872年
明治5年

海軍大輔に任官

(1872年05月10日)

6月15日、従四位に昇叙し、海軍大輔如元。

1873年
明治6年

参議に転任し、海軍卿を兼任

(1873年10月25日)

翌年2月18日、正四位に昇叙し、参議・海軍卿如元。

1874年
明治7年
1875年
明治8年

元老院議官に異動

(1875年04月25日)

元老院議官を辞表を提出

(1875年04月27日)

元老院議官を免ず

(1875年11月28日)

1887年
明治20年

伯爵を受爵

(1887年05月09日)

12月、従三位に昇叙。

1888年
明治21年

枢密顧問官に任官

(1888年04月30日)

10月、正三位に昇叙し、枢密顧問官如元。

1889年
明治22年

枢密顧問官辞表を提出するが、翌日却下

(1889年05月08日)

12月、勲一等瑞宝章を受ける。

1890年
明治23年
1894年
明治27年
1896年
明治29年

枢密顧問官辞表を提出する

(1896年10月27日)

枢密顧問官辞表を提出するが、11月4日、却下。

1898年
明治31年

旭日大綬章を受ける

(1898年02月26日)

1899年
明治32年

脳溢血により死去

(1899年01月21日)

明治32年(1899年)1月19日に脳溢血により意識不明となり、21日…