渋沢栄一と大逆事件年表の比較
年代 | 渋沢栄一 | 大逆事件年表 |
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1840年 |
埼玉県深谷市に生まれる(1840年02月13日)天保11年(1840年)2月13日、武蔵国血洗島村(現埼玉県深谷市)… |
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1847年 |
『日本外史』を学ぶ(1847年)従兄の尾高惇忠のもとに通い四書五経や『日本外史』を学ぶ。 |
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1858年 |
千代と結婚(1858年)従兄の尾高惇忠の妹千代と結婚、名を栄一郎と改める。 |
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1861年 |
海保漁村の門下生となる(1861年)さらに北辰一刀流の千葉栄次郎の道場(お玉が池の千葉道場)に… |
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1863年 文久3年 |
高崎城乗っ取り(1863年)尊皇攘夷の思想に目覚め、高崎城を乗っ取り、横浜を焼き討ちに… |
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1867年 慶応3年 |
フランスより帰国(1867年)主君の慶喜が将軍となったのに伴い、幕臣となり、パリで行われ… |
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1868年 慶応4年 |
商法会所を設立(1868年01月)大蔵省に入省(1868年10月)大蔵官僚として民部省改正掛(当時、民部省と大蔵省は事実上統… |
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1873年 明治6年 |
退官(1873年)予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、明治6年(18… 第一国立銀行頭取に就任(1873年)第一国立銀行開業・総監役。抄紙会社創立(後に王子製紙会社・… |
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1875年 明治8年 |
商法講習所創立(1875年) |
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1876年 明治9年 |
東京会議所会頭(1876年) |
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1877年 明治10年 |
択善会創立(1877年)後に東京銀行集会所・会長。 |
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1879年 明治12年 |
東京商法会議所創立・会頭(1879年)後に東京商業会議所・会頭。 |
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1881年 明治14年 |
博愛社創立・社員(1881年)後に日本赤十字社・常議員。 |
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1885年 明治18年 |
日本鉄道会社理事委員(1885年)後に取締役。 |
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1886年 明治19年 |
日本郵船会社創立(1886年)後に取締役。東京養育院院長。東京瓦斯会社創立。 |
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1887年 明治20年 |
東京電灯会社設立(1887年) |
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1888年 明治21年 |
日本煉瓦製造会社創立・発起人(1888年)後に取締役会長。帝国ホテル創立・発起人総代(後に取締役会長) |
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1889年 明治22年 |
札幌麦酒会社創立・発起人総代(1889年)後に取締役会長。東京女学館開校・会計監督(後に館長) |
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1890年 明治23年 |
東京石川島造船所創立・委員(1890年)後に取締役会長。 |
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1891年 明治24年 |
貴族院議員(1891年) |
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1892年 明治25年 |
東京交換所創立・委員長(1892年) |
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1893年 明治26年 |
東京貯蓄銀行創立・取締役(1893年) |
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1896年 明治29年 |
北越鉄道会社創立・監査役(1896年) |
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1897年 明治30年 |
日本精糖会社創立・取締役(1897年)第一国立銀行が営業満期により第一銀行となる。引続き頭取。日… |
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1898年 明治31年 |
澁澤倉庫部開業(1898年) |
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1901年 明治34年 |
日本興業銀行設立委員(1901年) |
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1909年 明治42年 |
宮下太吉、巣鴨の平民社に幸徳秋水を訪ね初対面、天皇暗殺計画を示唆、新村忠雄とも初対面(1909年02月13日)平民社を千駄ヶ谷へ移転、管野スガが平民社に住み込む(1909年03月18日)宮下、幸徳秋水宛に「爆裂弾の調合が判った」旨の書簡(1909年05月25日)警視庁、平民社を家宅捜索し、管野スガを検挙(1909年07月15日)宮下、長野県東筑摩郡中川手村大足(現安曇野市)の大足山中で爆裂弾の爆発実験(1909年11月03日) |
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1910年 明治43年 |
平民社解散。幸徳、管野は湯河原へ向かう(1910年03月22日)新村の明科入りを察知した駐在巡査が、新村を尾行(1910年05月14日)宮下、爆弾の材料を中川手村明科の明科製材所の工場に移す(1910年05月21日)長野県松本警察署長、宮下に関わる爆発物取締罰則違反容疑の報告書を受け取る(1910年05月23日)松本警察署が宮下、新村らを爆裂弾製造所持(爆発物取締罰則違反容疑)で逮捕(明科事件)。大逆事件の大検挙がはじまる(1910年05月25日)検事総長、(旧)刑法73条(大逆罪)に該当すると判断(1910年05月31日)幸徳秋水、管野スガらを湯河原で逮捕(1910年06月01日)アナキストのエマ・ゴールドマンら5名が連名で駐米全権大使・内田康哉宛に抗議文を送付(1910年11月12日)エマ・ゴールドマンらがニューヨークで最初の抗議集会(1910年11月22日)大杉栄が東京監獄から満期出所(1910年11月29日)フランスの社会主義者ら、在パリ日本大使館に抗議して大デモ(1910年12月06日)幸徳秋水ほか26人に関する大逆事件の大審院第1回公判(非公開)を開廷(1910年12月10日)エマ・ゴールドマンらがニューヨークの抗議集会で桂太郎首相宛の抗議文を採択(1910年12月12日)(堺利彦が売文社を設立)(1910年12月24日) |
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1911年 明治44年 |
勲一等瑞宝章(1911年08月24日) |
大審院、幸徳秋水ら24人に死刑判決、新田融に懲役15年の判決(1911年01月18日)管野スガ死刑執行(1911年01月25日) |
1928年 昭和3年 |
勲一等旭日桐花大綬章(1928年11月10日) |
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1931年 昭和6年 |
死去(1931年11月11日) |
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