御霊宮 御神灯講中(今の東大和市)

(1860年05月05日)

安政五年(1858年)、御輿役の鹿嶋田家と本町世話人が中心となって、御霊宮の講中新規募集をしたが、その関係かも。

東大和に御霊の講中。ここまで、講中募集の案内が回っていたか。ただし、神輿ではなくて、境内と神輿の御神行の道筋に立てる御神灯講中と思われる。その永代料としての寄進かと。

万延元年(1860)年、桜田門外の変などがあって、改元した年。

東大和市北端にあった、武蔵國多摩郡後ケ谷村(今は、多摩湖底)杉本家の文書より。

万延元申年五月五日府中御霊宮御供灯提
講中五拾三人ニ而永代御神燈奉納金壱両差出
左之通請取書

永代神燈料請取之事

金壱両也 桃燈壱張新調料
同臺新調料
同永代修復料
同蝋燭料
右ハ為当御宮御大祭永代御神桃料
御奉納有之慥ニ受納致候然上ハ諸入用

無相違引請毎年御大祭両夜共急度
献灯いたし永代於 明神前家内安全之
祈祷執行致御礼供物配当可致為後日
永代御神灯料受取書仍而如件

万延元年申五月 六所宮社内
鹿嶋田隼人
府中本町組合
惣代市左衛門
同世話人惣代
茂 七
金兵衛

宅部(やけべ)村
杉本平重郎殿

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