明治14年の記録 比留間七重郎日記より

(1881年05月)

江戸期から明治初期まで、六之宮輿役(広義の輿守)だった新宿比留間家十二代、比留間七重郎の日記より

五月四日
○辰五郎(職人と思われる)来例年通祭典挑灯建仮屋洗ヒ其他品々致ス
○同夜我等も例年通り大國魂参詣ス
○本年は挑灯之事其外更ニ不□気分不出来ゆへ也

五月五日
本日神事一式共雄亮(ゆうすけ、十三代)江託ス御輿守持ち役講社社向関係セズ

解説
明治13年、四ケ町に委託された神輿の維持管理。新宿は、五六之宮担当となったが、それ以前の六之宮御輿役の比留間家は、その後も、六之宮に関わっていたよう。
どうも、新宿町も、出来るかぎり、六之宮は、比留間家に任せようとしていたことが、明治30年以降の町内の記録からも読み取れる。

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