神輿の管理が四カ町に割り振りされたと推定

(1880年)

明治13年。
番場町の記録から、この年に、四ケ町(本町・番場・新宿・八幡町)に神輿二社ずつの管理が委ねられたと考えられる。

維新後は、お宮が所領を失い、神輿・太鼓の維持管理費が徐々に四カ町の負担となっていたことは間違いないが、あくまで、費用全体をまとめたうえでの分担だった。

二社の選定については、諸説あり、今となってははっきりしたことはわからない。
ただし、本町の鹿嶋田家が御霊宮の輿家であったことや、新宿の比留間家が六之宮の輿家であったことなども二社の割り振りに関係している可能性はある。

また、昔から、御差し込みの際の神輿の並べ方は、東から
三ノ宮・二之宮・一之宮・御本社・御霊宮・四之宮・五之宮・六之宮
であったことから、左から二社ずつ、分担を決めたことも推定される。

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