慶長十一年(1606年)幕府の手で社殿の大造営

(1606年)

慶長十年(1606年)、大久保長安を奉行として、総社六所宮が、再建されました。
それ以前、天正十八年(1590年)、小田原北条家が秀吉に滅ぼされる際、八王子城も落城。ときの神主猿渡盛正もそこで戦死。さらには、
総社六所宮もその影響で、ことごとく焼失。書類はすべて灰燼に帰したので、当時の様子が全くわからない、とされています。

慶長十年の造営の記(武蔵総社誌下巻に、家蔵と記載あり)に、「神輿舎一宇、神輿八基」とあります。場所は今の松尾神社の当たりに。それ以前、神輿が八基あったから、再興されたと考えるのが自然です。

ただし、慶長の造営記録を見ると、それらしきものがないんですね。

判断が難しいところです。

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