松平家忠日記より やぶさめに関する記述

(1593年05月)

「松平家忠日記」
※ 松平 家忠(まつだいら いえただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。深溝松平家4代当主。
彼の記した日記(『家忠日記』)は、戦国武将の生活や当時の有力大名を知る上で貴重な史料となっている。

1593年は、1590年天正18年家康江戸入城の三年後。社殿は1590年に八王子城陥落のあおりで焼失してしまっているが、祭礼は行われたこと、やぶさめがあったことが想像できる。家忠は、この頃、武蔵国埼玉郡に1万石を与えられ、忍城(おしじょう、現行田市)を本拠としていた。わざわざ、競馬式のために武州総社六所宮の祭礼に家来?の酒井平右衛門を行かせている。

天正廿一年(文禄二年)1593年 五月二日ノ条

武部府中やぶさめのりに酒井平右衛門越し侯

同日記

天正廿一年(文禄二年)1593年 五月九日条

去ル五日武州ノ祭へ越シ侯くろの馬中納言様御意に参リ侯て御馬屋へたち侯由(酒井)平右衛門所より昨日申シ来リ候

同日記 文禄二年 1593年 五月五日ノ条

松平主殿助家忠武州府中の祭礼に黒毛馬を牽く此馬秀忠公の御意に入るに依て家忠彼馬を秀忠公の御既に献す

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