「みみずのたはこと」 徳富蘆花

(1913年05月05日)

みみずのたはこと 1913年(大正2年)
徳冨健次郎(徳富蘆花) 当時、現在の蘆花公園のある場所にお住まい。

五月だ。来月の忙さを見越して、村でも此月ばかりは陽暦で行く。大麦も小麦も見渡す限り穂になって、緑の畑は夜の白々と明ける様に、総々とした白い穂波を漂わす。其が朝露を帯びる時、夕日に栄えて白金色に光る時、人は雲雀と歌声を競いたくなる。五日は槲餅(かしわもち)の節句だ。目もさむる若葉の緑から、黒い赤い紙の鯉がぬうと出てほら/\跳って居る。

五月五日は府中大国魂神社所謂六所様の御祭礼。新しい紺の腹掛、紺股引、下ろし立てのはだし足袋、切り立ての手拭を顋の下でチョッキリ結びの若い衆が、爺をせびった小使の三円五円腹掛に捻込んで、四尺もある手製の杉の撥を担いで、勇んで府中に出かける。

六所様には径六尺の上もある大太鼓が一個、中太鼓が幾個かある。若い逞しい両腕が、撥と名づくる棍棒で力任せに打つ音は、四里を隔てゝ鼕々と遠雷の如く響くのである。

府中の祭とし云えば、昔から阪東男の元気任せに微塵になる程御神輿の衝撞あい、太鼓の撥のたゝき合、十二時を合図に燈明と云う燈明を消して、真闇の中に人死が出来たり処女が女になったり、乱暴の限を尽したものだが、警察の世話が届いて、此頃では滅多な事はなくなった。
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