1871年(明治四年)未年 御神用払方

(1871年)

御神用払方

大國魂神社(武蔵総社六所宮)文書より。
神輿などにかかった費用を抜き出しました。

金三両弐分 御神輿修復 ぬし屋払
金八両弐分 御太鼓張替代□□平右衛門金次郎ヘ渡ス
金弐両 同断 □□両人ヘ手当
明治三年に続き、九月に臨時祭というのがあった模様。

以下に非常に興味深い記述を発見。

九月
金七十五両 田村より御預リ之内 木村芥舟ヘ渡ス
但し残金七十五両ニ成ル

金壱分三百文 木村芥舟ヘ土産 鮎弐籠代

十二月
金弐両壱分弐朱 田村知則より御預リ残金七十五両之利 壱割弐分五リ 木村芥舟ヘ渡ス
三百弐拾文

「木村芥舟(かいしゅう)」とは、木村摂津守

文政13年2月5日(1830年2月27日 - 明治34年(1901年)12月9日)。

幕末期の幕臣。
幕府海軍軍制取締、浜御殿添奉行、本丸目付、長崎海軍伝習所取締、軍艦奉行、勘定奉行等幕府の要職を歴任。

咸臨丸の総督を務め、維新後は完全に隠居し、福澤諭吉と交遊を重ねて詩文三昧の生活を送った文人である。

勝海舟、木村芥舟、福澤諭吉の3名は、咸臨丸に同乗していて、その前後、様々な関係がある。検索してみてください。

司馬遼太郎さんの「胡蝶の夢」を読めば、また色々なことがわかり面白いです。

ともかく、木村芥舟の(当座の?)隠棲先が府中であったことにびっくり。

もしかしたら、幕末・明治の蘭方医師 北猿渡の猿渡研斉、貫斎兄弟との関係があったのかもしれない。

そして、さらに、この木村芥舟は、別の人との交流があるのだが、それは、また別に。

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