六所宮の縁起が判明

(1818年11月20日)

前年に、一之宮・二之宮の縁起が判明したことに加えて、猿渡盛章は、安居院(あぐい)の「神道集」※にて、一之宮から六之宮の神号を知ることになり、長期間不詳であった府中六所宮の六所宮たる正しい所以を理解するにいたる。

国府の衰退以降、鎌倉・室町・戦乱の世を経て、六所宮の由来が不明になっていた。

※神道集 (しんとうしゅう)は、日本の中世の説話集・神道書。
安居院唱導教団の著作とされ、南北朝時代中期に成立したとされている。全10巻で50話を収録。
関東など東国の神社の縁起を中心としつつ、本地垂迹説に基づいた神仏に関する説話が載っている。
総社六所宮は、三巻に掲載。

以下、その実際の文章

神道集 第三巻

十五者武蔵六所明神事

抑此六所者 一宮ハ小野大明神ト申本地文殊也此ノ仏是三世覚母九代祖師也云々
二宮小河大明神ト申本地薬師如来是也此ノ仏東方浄土ノ教主十六王子寂初也云々
三宮火河大明神ト申中本地観音也此仏此釈迦左面ノ弟子弥陀補陀ノ大士也云々
四ノ宮ハ秩父ノ大幷ト申本地毘沙門天王也抑此モ天王者文句ニ云毘沙門此種門ト云々
五宮金鑚大明神申本地ハ弥勧幷是此仏ハ是当来三会ノ数主也云々
六宮椙山大明神ト申本地大聖不動明王是也此明王ハ三界接領悪魔降伏生而ニ如護尊也々
私云河越十八所権現大明ト申六所ニ山王七社八幡三所並ヘ上ス云々

明応参季甲寅霜月(1494年) 日良順写之 472年前 将軍義植 後土御門天皇

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