安永八年(1779年)宮司の日記より
(1779年04月)安永八年 1779年
六所宮神主日記 猿渡盛房(宮司)
四月二十日
御神馬来ル二十四日牽ニ可参旨申遣ス、大塚之馬喰也
四月二十三日
浜宿祝儀之餅つき申候事
御手綱染参ル
明日平二品川ヘ参ル、餅三升重箱入七十切ミそまき塩入樽
四月二十四日
神馬牽ニ遣ス候事
(※こまひき【駒牽】 平安時代,諸国の牧(まき)から貢進する馬を天皇が見る儀式。)
四月二十五日
(以前は、この日が品川海上禊祓式(汐汲み・お浜降り))
今朝七ツ時之供揃六ツ時出宅、金子迄参り休何れも揃申候事、金子茶や弐十疋祝儀酒出ス
(※ 金子とは、つつじヶ丘の西側)
(※ 供揃:行列などで、供の人をそろえること。)
(※ 疋:銭を数える語。一疋は、古くは十文、のちには二十五文。)
目黒ヘ参詣、茶やニて休、何れも調もの待合、相済品川宿ヘ着、宿ヨリ初而テ故酒吸物取肴出ル。例弐百疋初而故祝儀百疋遣ス、支度相済浜下り相仕舞、社頭ヘ参詣、帰宅
五月朔日
御鏡下ル、御幣祓幣箱ニ入御膳番ヘ渡ス、御行燈下ル、利右衛門御駒触廻ル、今日より御駒之者潔斎
今日御札こしらへ神苻六百枚のり入弐ツ切出
五月二日
今日御札拵百枚、夫々ヘ包申事、別紙ニ記ス
御鏡とき也、伝兵衛野口平二忠右衛門也、拝殿ニて有之、御霊御鏡鹿嶋田、御本社織田ヘ下ル、但し織田差合之節ハ此方ヘ下ル
五月三日
御駒くらへ六時過也、仮屋ニて拝見
五月四日
今朝御神事例之通、御獅子四神出ル、御戸前明東照宮同断也
天神八膳石塚御しめ彦兵衛致候事
七ツ時御戸前仕舞申候事
五月五日
三町名主ヘ祭礼中頼候旨申遣ス、但し手紙也、粽遣し候節
道清メ御膳番相勤ル
七ツ時御神前御戸前〆申事、御道具等出し置く
神馬滝ヘ遣申候、暮合御神前ヘ引出し申候事
烑燈(ちょうちん)等支度役割申付ル
暮前御膳触有之横山相勤ル
暮時支度致候事、利右衛門(鹿嶋田)修理同道此方ヘ参ル、五時比出仕、精進門ニて供揃利右衛門差図致候事、随神門ヨリ出申候、石ノ間迄烑燈等不残申候事、御内陣御燈明付直ニ三種祓三十六両殿十八、相済御道渡シ(鹿嶋田)修理呼出し治兵衛ヘ渡ス、右顧人此方ヘ昼十籠帳面ニ致持参仕候事也、相済神輿入、(鹿嶋田)修理下ル、御烑けす御本社
相済御戸前〆御出御、尤神輿出御祓被申事也直ニ御本社ヘ付出申候事、鏡下よりあした御供也 御霊ハかけ間道也
御旅所入御、御本社前ニ将棊ニ居申候事、七十五御使奉幣相済御膳上ル、一ノ宮ノ神主勤ル、相済御本社之前ニて勤、五神位御膳□□三度也、相済野口ヘ参ル野口□立也、野口方例社家参不申候得共初而故修理も参ル、御膳番伝兵衛加司馬大円也、盃出野口ヘ遣ス、返盃治兵衛ヘ遣ス、品々出赤飯粽(ちまき)也、又盃野口初此方ニて給返盃又治兵衛ヘ相廻ル、相済御鍵(鹿嶋田)修理持返ス、烑燈知らセニ手水、野口ヲ出神馬ニ乗ル、神馬ニて祓乗リ御旅所脇ヘ出、勤方別ニ有之、相済直ニ馬ニて鳥居迄、鳥居より下ル、御殿ヘ返ル也、御還御烑けス御幣うつし相済烑御道具入御戸前〆下ル
昼一ノ宮参ル、盃出ス取肴也
名主手紙 以手紙致啓上候、先以当日御□意も目出度弥御堅固奉珍重候、然ハ今夕刻例年之通 御一社ニ弐人宛堅固之衆、乍御世話御差添可被下候、此段得御意度如此御座候、尚々節句後可得御意候、以上
五月六日
御田植御祝儀ニ付可参詣人遣ス、織田鹿嶋田隠居
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