武州府中六所宮御霊宮神輿講中新規加入につき勧誘状

(1858年09月05日)

輿役の鹿嶋田家が本町をはじめとする御霊宮の世話役と連名で、新規講中を募集した。

それ以前に、御本社の輿役である禰宜が、同様な募集を行っており、それを踏襲した形。

それにつけても、御札と粽だけの御礼で、高張提灯を作って持ってきてそれを掲げるところまで全部やるって、すごいですね。

一、六所宮御霊御神輿之儀者従往古拙家守護致、本町通り御通行有之侯、前々ゟ守衛人数質素ニいたし来侯得共、近来外御神輿守衛人数御供灯提等追々相増候儀、質素而巳ニてハ神霊ニも相叶間敷儀ニ付、巳来改革いたし、御神輿守衛人数御供灯提等外々之通り賑々敷致度志願二御座候、依之何卒御信仰之方、講中御加入之程偏二御願申入侯
一、御霊宮御神輿掛り
但し御加入之御方者三月下旬迄ニセ話人方迄御届可被下侯、当日晴雨共八ツ時迄二御出可被下侯、其節一飯進上いたし、御帰宅之節、御札・御踪銘々進上いたし侯
一、御太刀奉納
但し御太刀杯御供之儀者前同様御心得可被下候
一、御供灯奉納
但し御供灯提之儀者其方ニて御仕立、当日御持参御供被相勤、御神事相済次第御持帰可被成侯、尤当日御出之節一飯進上、前同様御札・御綜進上いたし侯
一、御神灯奉納
但し境内幷御神行御道筋御神灯之儀者壱張二付、台共新調料銀弐拾匁宛御奉納可被下僕、初年ゟ毎年蝋燭料三百五拾銅ツ、御奉納可被下僕、尤三年目張替此方ニていたし侯、且年々御札・踪進上いたし侯

右加入之方々ハ本帳江御姓名御記し可被下僕、御内陣へ相届申侯

安政五午年九月
古来世話人
鹿島田 隼人

小野宮
内藤 治助
内藤 徳次郎
森田 金兵衛
沢井 菊次郎

四ッ谷間鴨
森田 豊次郎
森田 万吉
森田 勘助

四ッ谷村
市 川 安五郎
市 川 寅吉
市 川 倉吉

中河原村
相 沢 長右衛門
相 沢 平 三 郎

落合村
 寺沢久兵衛
寺沢 喜惣次
加 藤 彦太郎

内藤村
   神山八百八
神山八右衛門
市倉 今五郎
市倉 定吉

恋ケ窪村
坂 本 浅 次 郎

平山村
根津惣右衛門

当所本町世話人
大 熊 文右衛門
箕 輪 伊左衛門
福 嶋 茂 七
桑 田 金右衛門
矢 嶋 佐次右衛門
五十嵐 藤 兵 衛
町 田 弥 青
田 中 所左衛門
矢 部 源左衛門
夏 目 七右衛門
伊 藤 喜右衛門
夏 目 伊右衛門
清 水 勝 五 郎

分梅
谷 合 長右衛門
小 川 来 助
小 沢 武右衛門
小 沢 清右衛門
佐 伯 博左衛門
三 上 仁 兵 衛
谷 合 専右衛門
関 孫 七

芝間
林 偉 兵 衛

矢崎
芝 辻 金右衛門
岡 野 清 五 郎

組頭
小 川 甚 之 丞

宇田川 元右衛門

林 紋 三

小 川 吉 兵 衛
年寄
小 沢 市左衛門

有 竹 利 三 郎

清 水 斉 兵 衛
〔寺沢茂世家文書目録六七九〕

〔解鋭〕五月五日の六所宮例大祭における御霊宮の神輿掛りならびに御供の高張提灯奉納など、外神輿同様賑やかに行ないたいという講中への勧誘状である。差出人の鹿嶋田隼人は六所宮の社家で、御霊宮の輿役であった。古来世話人として、多摩市域落合村の寺沢久兵衛、同所惣次、加藤彦太郎の名が見える。
御霊官の神輿は外神輿と異なり唐破風造りであり、また神事絡も一基だけ西門を出て鎌倉街道を通り御旅所に至った。

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