明治20年の記録 比留間七重郎日記より

(1887年05月05日)

江戸期から明治初期まで、六之宮輿役(広義の輿守)だった新宿比留間家十二代、比留間七重郎の日記より

五月五日 薄晴
大祭典 例之通御輿守来ル着到遅キ故来年ハ早ク参ルヤウ申聞ル

祭礼の詳細はないが、明治20年になっても、六之宮の輿守(多分、小田分の内海家と思われる)役について、面倒を見る立場であったようです。

輿守の到着が遅れたので、来年は早く来るように申し付けたと。

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