参考:(論壇時評)和解への道 未来からの審判、応えるには 作家・高橋源一郎【朝刊】

(2012年11月29日)

“かつて、朴裕河(パクユハ)は『和解のために』(〈3〉)で「教科書」「慰安婦」「靖国」「独島(竹島)」という、日韓の間にあって両者を引き裂く四つの問題の解決への道を探った。
朴が試みたのは、真実を単純化させないために、両者の意見に徹底的に耳をかたむけることだった。どちらにも理があり、また同時にどちらにも理のないところがあった。たとえば、朴は、「慰安婦」問題については、日本の責任を問いつつ、同時に「娘を売り渡した養父」や「日本軍兵士でもあった朝鮮人兵士」による「慰安婦施設の利用」を指摘し、その責任を問う。被害と加害は単純に分類できない。時に、被害者は加害者でもあるのだ。
“ その朴が、「改めて『和解のために』」と題し、「独島(竹島)」問題について発言した(〈4〉)。”
朴裕河は、責任は問われ続けなければならない、とした上で、攻撃の応酬を終わらせる鍵を握っているのは「被害者側」だ、と書いている。
「被害者の示すべき度量と、加害者の身につけるべき慎みが出会うとき、はじめて和解は可能になるはずである」(〈3〉)”
“ 〈3〉朴裕河『和解のために』(2006年刊、大佛次郎論壇賞、11年に平凡社ライブラリー版)
〈4〉朴裕河「冷戦と『独島(竹島)体制』 改めて『和解のために』」(atプラス・14号)”

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