【田中角栄】日米繊維協定の了解覚書に仮調印。★

(1971年10月15日)

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田中は大平や宮沢とは頭の構造が違っていた。

彼らは日米繊維交渉を外交交渉と見ていたが、
田中は単なる困りごとと判断。

予ねてから子飼いにしてきた大蔵官僚と密かに話をつけ、
問題をあっという間に解決してしまった。

それは2000億円で福井県などの織機を買い入れて潰すというもの。

大平や宮沢、ひいては佐藤も考えの及ばなかった発想だった。

田中は就任3ヶ月目の10月15日には
米大統領のケネディー特使と日米繊維協定の了解覚書に仮調印するという早業だった。

http://kajikablog.jugem.jp/?eid=1006855
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田中は米側の要求をのむ代わりに
繊維業界の損失を補填するという方針に転換。

国内繊維業界への対策として
複数の案が挙げられた中で
田中は輸入規制で
余剰の出る織機の買い上げ案に目を留めたものの、
当時の通産省の一般会計が2千億円弱であるのに対し、
要求ベースで2千億円を超えるという巨額な費用がネックであった。

この説明を受けた田中は、
相次いで佐藤首相、水田三喜男大蔵大臣に電話し、説得。

さらに自身の名刺の裏に「2千億円よろしく頼む」と万年筆で記し、
これを大蔵省主計局に届けさせた。

10月15日には米側原案に近い形での
「日米繊維問題の政府間協定の了解覚書」の仮調印が行われ(直後に施行)、
日米繊維問題は一応の決着を見た。

繊維業界へは751億円の救済融資が実施された。

同年の第67臨時国会でも
1278億円の追加救済融資が
補正予算として計上された。

https://ja.wikipedia.org/wiki/日米繊維交渉
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