【毎日新聞】安宅のNRCへの融資焦げ付きをスクープ。
(1975年12月07日)磯田に平和相銀の救済を頼み込んだのが、
当時副総裁の三重野であったことを仄聞しているだけに、
その感を持たざるを得ないのだ。
二人の因縁を考える時、
安宅産業の危機を忘れることはできない。
住友銀行が安宅問題で編成した特別チームの
ヘッドに就いたのが当時副頭取の磯田で、
一方の三重野は営業局長だった。
安宅危機が表面化した75年12月7日、
主力取引銀行の住友、協和両行頭取が
記者会見した同じ日、
日曜日にもかかわらず日銀営業局長が異例の会見をして
「関係銀行団は一致して
安宅の信用保全に全力を挙げており、金融不安はない。
日銀も信用保持のため全力を挙げる」
と支援表明した。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090305/188248/
12月7日、「毎日新聞」朝刊は
安宅のNRCへの融資焦げ付きをスクープ、
経営危機が広く世間に知られることとなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/安宅産業破綻
安宅産業は1904年創業の総合商社で、
1975年当時は業界9位だった。
新日鐵の5大指定商社の一社で、
金属や機械部門は強かったが、
エネルギー部門が弱かった。
上位商社に追いつくために
カナダのニューファウンドランド・リファイナリー(NRC)に突っ込み、
巨額の融資をしたところで、オイルショックが襲い、
中東原油の精製をやっていたNRCは
巨額の損失を出し始め、
不動産投資失敗も加わって
安宅産業の息の根を止めた。
負債総額1兆円の安宅が破たんすると
日本企業の国際信用が失わわれ、
「日本経済は焦土と化してしまうかもしれない」との懸念から、
メインバンクの住友銀行と協和銀行が中心となって、
伊藤忠商事が安宅の優良部門を吸収合併し、
銀行は債権放棄して破たん処理を実現した。
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