【近藤忠雄】住友銀行名古屋支店長の畑中和文を射殺。

(1994年09月14日)

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伊藤萬との窓口が名古屋支店だった。

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近藤はマンション正面玄関のカギを
「適当に四桁の番号を押していたら、開いた」と供述。

だが、実際には正面玄関は電磁ロックキーを用いて開ける方式だ。

また、支店長は頭を水平に打たれていたが、
彼よりも10㎝も背が低い近藤には、それは無理だ。

近藤はそれまで、のべ30年間を刑務所で暮らしてきた「懲役太郎」だ。
報酬と引き替えの替え玉出頭と見られたが、
近藤は依頼者の名前を口にすることはなかった。

この事件で最も不思議なのは、
被害者であるはずの住友銀行が
捜査に非協力的だったことだ。

http://tocana.jp/2016/01/post_8442_entry.html
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名古屋市千種区で1994年9月に起きた
住友銀行(現・三井住友銀行)名古屋支店長射殺事件で、
殺害に使われた拳銃を所持していたとして
銃刀法違反などで服役し、
今年1月に87歳で病死した近藤忠雄元受刑者が、
愛知県警特捜本部に
殺害容疑を認める上申書を
提出していたことがわかった。

http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/2f1393e7b492e06e64ea429974770493
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◆写真は、事件があった「月見ケ丘マンション」(名古屋市)(1994年09月14日) 【時事通信社】

https://www.jiji.com/jc/d4?p=jyu000-jpp06055056&d=d4_dd
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住友グループ関係者によると、
被害者は磯田一郎の追い落としに奔走していたという。

支店長として、
磯田が推進したパチンコ業者や
水商売との取引が多い梅田北口支店や、
平和相互銀行がらみの不正融資案件を多数抱えた京都・四条支店、
山口組系フロント企業の口座が圧倒的に多い大阪駅前支店、
闇金融業者などが多く利用する船場支店を歴任。

最後に支店長を務めた名古屋支店は、
イトマン関連案件を除いても
多数の不良債権を抱えていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/住友銀行名古屋支店長射殺事件
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畑中は1965(昭和40)年、
大阪大学法学部を卒業後、住友銀行に入行。

東大阪支店(当時はヤ虻支店)を振り出しに、
主に本店の総務畑を歩み、
すぐに総務部次長に就任した。

87年4月から大阪市の梅田北口支店、
大阪駅前支店、船場支店などの支店長を歴任、
91年6月に取締役に昇格すると、
‥‥11月からは名古屋支店長として単身赴任し、
近く常務に昇進すると見られていた。

「エリートながら明るい人柄で、
部下にも人望があった。
彼を悪く言う人はいない」

と行内の評判は上々で、
個人的な怨恨の線は全く浮かんで来ない。

ただ、畑中が事件直前、
知人に「不良債権の処理には疲れ果てた。
まだ、しんどいのがあるんや」と漏らしていたとの情報があることや、
彼が総務畑が長く、総会屋対策を任されてきたことから、
深刻な仕事上のトラブルがなかったかを重点的に捜査した。

ところで、住友銀行名古屋支店と言えば、
住銀・イトマン事件の主役・伊藤寿永光が出入りするなど、
さまざまなトラブルを抱えていたとされる。

伊藤は87年、畑中の前任支店長の紹介で
住銀出身のイトマン名古屋支店長・加藤吉邦に食い込み、
加藤を通じてイトマン社長の河村良彦に
「2000億円プロジェクト」を持ちかけた。

それが後にイトマンを食いつぶす大問題に至ったのである。

そして、住銀名古屋支店長が
伊藤に対して次々と多額の融資を行い、
彼の犯罪スレスレの怪しげなビジネスを手助けし、
支店の業績を飛躍的に仲ばしたことは事実である。

だが、そうした業績の大半が焦げついてしまった。

事件で闇の勢力を住銀に取り込んだ張本人の
元会長・磯田一郎一派を追放した住銀が、
一斉に強硬姿勢で臨んだイトマン関連の不良債権回収後でも、
まだ名古屋支店には合計400億円余分も残っていたという。

それらトラブル案件の後始末役として乗り込んだのが、
ほかならぬ畑中だったのだ。

https://restfultime.blogspot.jp/2015/04/blog-post_14.html

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