西暦735年、「続日本紀」に、天然痘とおぼしき記述が初めて登場。(以後、1838年までに、少なくとも58回流行。)

(1003年)

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(※このサイトでは、西暦1000年より前が入力できないため、便宜的に1003年としています。)

じつは、
新元号ゆかりの「万葉集」の時代にも、
古代日本で最大級のパンデミックが起きているのだ。

当時、
平城京で大流行したのは
天然痘である。

痘瘡(とうそう)ウイルスによる
この疫病の死亡率は、
かつて50%にも上った。

医史学者の富士川游(ふじかわ・ゆう)が
明治末期に書いた「日本疾病史」によれば、
天然痘が史書に初めて登場するのは735年。

大宰府から流行が始まったとする
「続日本紀」の叙述だ。

以後、1838年までに、
記録にあるだけで
58回の流行をみた。

しかし、実際には
もっと前から天然痘は
日本に入り込んでいたらしい。

たとえば、
藤原不比等の謎の死(720年)も
その可能性があるという
(酒井シヅ「病が語る日本史」)。

やがて
パンデミックの様相を呈したのが、
737年の大流行である。

不比等の子たち「藤原4兄弟」も
全員が落命し、
朝廷は機能停止に追い込まれていく。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58635570Q0A430C2SHB000/

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