ポーツマス条約(日露戦争後の講和条約)
(1905年09月05日)日露戦争終結に際して日本,ロシア間で結ばれた講和条約。
T.ルーズベルト大統領の斡旋によって
1905年8月 10日から
アメリカの軍港ポーツマスで
講和会議が開かれた。
全権委員は
日本側が小村寿太郎と高平小五郎,
ロシア側が
S.ウィッテと R.R.ローゼン。
樺太 (サハリン) 割譲と
賠償の問題をめぐって
交渉は難航し,
日本側が賠償金の要求を撤回した結果,
同9月5日講和が成立した。
そのおもな内容は,
(1) 日本が朝鮮において指導,保護,監理を行う権利を有すること,
(2) 両国が満州から撤兵すること,
(3) 関東州租借地と長春-旅順間の鉄道を日本に譲渡すること,
(4) 北緯 50°以南の樺太を日本に割譲すること,
(5) 日本海,オホーツク海,ベーリング海のロシア沿岸漁業権を日本に与えること
などであった。
日本国内では
賠償金と領土獲得を期待する声が強く,
講和条約に不満の民衆は
日比谷焼打ち事件などの行動を起した。
https://kotobank.jp/word/ポーツマス条約-133620
https://ja.wikipedia.org/wiki/ポーツマス条約
そんな彼らの「領土観」は、
「戦争のたびに変わる」というものだ。
ロシアのインテリと話していると、
こんなことを言われる。
「1875年の樺太・千島交換条約で、
日本とロシアの国境は画定された。
にもかかわらず、日本は
日ロ戦争後、南樺太を奪った。
日本が勝ったときは
ロシアから領土を奪うが、
ロシアが勝ったときは
『固有の領土』だから奪ってはいけないという。
フェアじゃないよね」
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