【宅見勝】中野会の組員に襲撃され死去
(1997年08月28日)<宅見若頭射殺事件後の締め付け›
あの法律(組織犯罪処罰法)ができてから、
ヤクザは社会から「組織犯罪集団」とか、
「反社」(反社会的勢力)と呼ばれるようになったんだ。
「暴力団」よりはるかにキツい呼び方だ。
その一方で、宅見さんの事件で
一般人が巻き添えになったことなんかもあって、
暴対法に使用者責任が加わり、(ヤクザを取り巻く状況が)
どんどんどんどん、キツくなっていったんだ。
(中略)
しかし(射殺事件が起こった97年)当時、
すでに宅見さんは、肝臓病で
末期の状態だったんだ。
それを中野会長も知ってたはずなのに、
なんであんな行動に出たのか…
それがいまだにわからんのだよなぁ…。
(「憚りながら」後藤忠政・著p.284-p.285より引用。)
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8月28日午後3時20分ごろ、
宅見・岸本・野上の3人は、
ティーラウンジの一番奥まったテーブルに着いた。
その直後、襲撃犯が
38口径と45口径の拳銃で
宅見を銃撃した。
宅見は7発の銃弾を受け、
救急車で神戸市立中央病院に緊急搬送されたが、
約1時間後の午後4時32分に
同病院で死亡した。
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