アジアかぜ(約100万人が死亡、日本国内は約300万人が感染し、約7,735人が死亡。)

(1957年05月)

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1957年の
「アジアかぜ」によるピーク7,735人から、
1970年代まで
インフルエンザ死亡者数は、
おおむね、減少傾向をたどり、

1980年代~90年代前半は、
千人以下の少ないレベルに止まっていた。

ところが、90年代後半から、
大きく増加する年が目立つようになり、
2010年以降は、
増勢の傾向が認められる。

気候変動、国際観光流動、高齢化、栄養状態、検査法など、
何らかの傾向的な変化と連動しているかどうか、
気になるところである。

なお、近年の死亡者の8割以上は
65歳以上の高齢者である。

https://honkawa2.sakura.ne.jp/1955.html

https://ja.wikipedia.org/wiki/アジアかぜ

アジアインフルエンザは、
1957年4月に
香港で最初に認知されたとされていますが、

ほぼ相前後して
シンガポール、台湾、マニラから
流行の報告がされています。

また中国大陸では
その年の2月には
貴州省・雲南省に端を発したと考えられている
インフルエンザの大流行がすでにあり、

その余波が香港やシンガポールに及び、
そこで新たなインフルエンザウイルスであることが
明らかになりました。

さらにアジア一帯、オーストラリア、
アメリカ、ヨーロッパへと伝わり、

約半年で
地球上の多くの国に患者が発生したと考えられています。

日本国内では、
1957年5月に新聞報道で

香港において
今までにないインフルエンザA型が見つかった

ということが初めて伝わり、

関係者の間では
「スペインインフルエンザ」が思い起こされ、
相当な緊張が走ったといわれています。

最初のアジアインフルエンザの流行は
5月10日の
世田谷区内の小学校であったとされています。

5月下旬には
早くも国内各地で
インフルエンザが見つかるようになりますが、

秋になると再び流行が始まり
1958年の春先に再び収まっています。

最初の流行を第1波、

2回目の流行を第2波、

としています。

https://www.cas.go.jp/jp/influenza/kako_13.html

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