スペイン風邪が世界的に大流行し、約5,000万人が死亡。(国内は45万人で致死率1.5%)

(1918年03月)

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流行源はアメリカ合衆国であるが、
感染情報の初出がスペインであったため、
この名で呼ばれる。

当時は第一次世界大戦中で、
世界で情報が検閲されていた中で
スペインは中立国であり、
大戦とは無関係だった[1]。

一説によると、
この大流行により多くの死者が出、
徴兵できる成人男性が減ったため、
世界大戦の終結が早まったといわれている[2]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/スペインかぜ
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感染者や死者については諸説あるが、
国立感染症研究所の解説によれば、
「患者数は世界人口の25-30%、
あるいは世界人口の3分の1、約5億人で、
致死率は2.5%以上、
死亡者数は全世界で4000万人、5,000万人、
一説には1億人とも。

日本の内務省統計では
日本で約2300万人の患者と
約38万人の死亡者が出た
と報告されているが、
歴史人口学的手法を用いた
死亡45万人という推計もある」

という。

https://sp.hazardlab.jp/know/glossary/スペインかぜ
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1918年に大流行したスペインかぜ(インフルエンザ)では
世界中で5000万人が死亡したが、
犠牲者が主に若い健康な成人だったのはなぜなのか、
これまで明らかになっていなかった。

答えは驚くほどシンプルだ。

1889年以降に生まれた人々は、
1918年に流行した種類のインフルエンザウイルスを
子どもの頃に経験(曝露)していなかったため、
免疫を獲得していなかったのだ。

一方、それ以前に生まれた人々は、
1918年に流行したインフルエンザと似た型のウイルスを経験しており、
ある程度の免疫があった。

https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9190/
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スペインインフルエンザは
1918年3月
米国カンザス州から始まり、

この年は
春を過ぎても
インフルエンザ患者数は減らず、
米国からヨーロッパ・アジアに広がり
大きな流行となりました(第一波)が、

致死率はそれほど高いものではなく、
夏になるといったん収まっています。

ところが秋から再び流行が広がり(第二波)、
多くの死者が出たと記録されています。

国内では
1918年8月下旬から流行が始まり、
11月には全国的な流行となり
12月に勢いが低下し
次第に収まりました。

1918年8月~1919年7月を
第一回流行(当時の内務省見解:第一波に相当)とし、

1919年9月~1920年7月を
第二回流行(当時の内務省見解:第二波に相当)としています。

第二回流行では
患者数は激減したものの、

致死率は
第一回流行よりも著しく高くなっており、
米国の流行と似ているといわれています。

https://www.cas.go.jp/jp/influenza/kako_13.html

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