【大阪空港】B滑走路が完成し騒音問題による立ち退きが始まる ★
(1970年02月05日)1960年代以降の高度経済成長期には
大阪市の近郊の市街地が拡大し、
大阪国際空港の周辺も
宅地化の波が押し寄せた。
同じころ、
離着陸回数の増加や
航空機の大型化・ジェット化が進み、
1964年6月1日より
ジェット機の乗り入れが開始した。
ボーイング707やダグラス DC-8、
コンベア880などの大型ジェット機が
相次いで就航した。
これに対応して、
1969年2月1日には
現・旅客ターミナルビルが、
1970年2月5日には
3,000 mのB滑走路(14R/32L)が、
それぞれ供用開始され、
現在の大阪国際空港がほぼ完成した[注 8][37]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大阪国際空港
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「このあたりは4つ池があったんや。
おぼれて死んだ人もおるくらい深い池やったんやけど、
処理できなくなったゴミを豊中市が池に捨ててた。
昔は今ほどゴミの分別もしてなかったから
何でもほかして(捨てて)たわ。
そこを業者が買い取ってアパートや文化住宅を建てた。
そのあと、伊丹空港にB滑走路ができて、
騒音問題で立ち退きが始まって空き地になったんや。
そりゃ、掘ったらゴミ出るに決まっとる」
http://www.excite.co.jp/News/society_clm/20170301/TokyoSports_656992.html?_p=2
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1970年の地図。
道路の辺りに、小さな集落が確認できる。
http://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/map/gmap.html?ll=34.446976,132.397467&z=17&data=history&t=h&vm=y&vo=y
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