【海部俊樹】一時的に赤字国債依存体制から脱却。
(1990年)赤字国債の発行額は、
バブル崩壊の直後の三年間、
ゼロとなったことがある。
内閣でいうと、
海部内閣から宮沢内閣。
・第1次海部内閣1989年8月10日 - 1990年2月28日
・第2次海部内閣・改造内閣1990年2月28日- 1991年11月5日
・宮澤内閣・改造内閣1991年11月5日- 1993年8月9日
https://ja.wikipedia.org/wiki/内閣総理大臣の一覧
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この間,
バブルによって税収も拡大し,
国債発行額を減額することも容易になった。
平成2年(1990),
ついに赤字国債依存体制 から脱却することができた。
図表3でみるよう に,
平成2年度の当初予算で
赤字国債をゼロとすることができた。
赤字国債の発行実績は
平成3年度(1991)から
平成5年度(1993)までの 3年間,
ゼロとなった。
大平首相の悲願が実現したのである。
ところが,
赤字国債依存体制の脱却を目前にして,
赤字国債歯止装置が破壊されてしまう。
http://www.jsri.or.jp/publish/research/pdf/81/81_02.pdf
年度途中で
9,689億円の臨時特別国債が発行されるが,
これは湾岸戦争負担金を
赤字国債発行で調達したからである。(p.29)
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