【東京電力】調査委員会を設置し原子力導入に本腰を入れる。

(1955年10月)

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東電が
原子力導入に
本格的に取り組み始めたのは
55年10月、
社内調査委員会設置にさかのぼる。

後に原子力村のドンと呼ばれる元副社長の
豊田正敏(とよた・まさとし)(87)は、
11月に社長室に新設された原子力発電課の
主任を命じられた。

31歳だった。

「まだ研究も初期段階。

電力会社がやるのは時期尚早と思ったが、
社命だったから全力だった」

●平和利用

急ぐのには理由があった。

東西冷戦下の53年12月、
アイゼンハワー米大統領が国連総会で
「原子力の平和利用」を唱え、
核技術の民生転用が現実化。

55年8月にジュネーブであった第1回原子力平和利用国際会議では、
ソ連が世界で初めて運転を開始した原発の詳細な報告書を公表し、
各国に衝撃を与えていた。

豊田たちは分担して海外論文を読み進め、
専門用語を日本語に移し替える。

「ウラン『濃縮』は本当は『富化』としたかった」。

敗戦国の若者たちが
巨大技術の移入のため、汗を流した。

日本でも54年、
改進党の中曽根康弘らが
初の原子力予算を国会に提案、成立。

56年には原子力委員会が発足し、
初代委員長に正力松太郎が就いた。

電力会社と三菱、三井など
旧財閥系の国内重電機メーカーは
日本原子力産業会議を立ち上げた。

主導権を政府と民間のどちらが握るか。

政界を巻き込む路線対立の末、
60年1月に
官民共同出資の日本原子力発電(原電)が
茨城県東海村に
初の商業炉建設を開始する。

「このころ米国から
火力並み原価で発電できることが伝わり、
電力各社も原子力をやるという流れになった」。

豊田は原電に出向し、
東電の同僚は
用地選びのため
各地を駆け回ることになった。

https://web.archive.org/web/20160301143714/https://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_18.html

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