ドイツで再び政権交代し、メルケル政権へ。

(2005年09月18日)

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2005年9月18日に行われた総選挙では、
メルケル率いるCDU/CSU連合は
ゲアハルト・シュレーダー首相率いるSPD・緑の党連合に
僅差で勝利した。

しかし改選前より議席を22も減らしたために、
FDPと合わせても過半数には届かず、
緑の党との連立協議も不調に終わったことから、
SPDとの連立以外に現実的な選択肢がなくなった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/アンゲラ・メルケル

メルケルは1954年、ドイツ北部のハンブルクに
牧師・神学者の長女、
いわゆる「パスターズ・キッズ」として生まれた。

「アンゲラ」とは
「天使」(エンジェル、アンジェラ)という意味の女性名。

生後間もなく、父ホルストが
ベルリン=ブランデンブルク福音主義教会
(現ベルリン=ブランデンブルク=シュレージシェ・オーバーラウジッツ福音主義教会※)の牧師として
東ドイツに赴任することになり(東ドイツの牧師が不足していたため)、
両親と共に東ドイツへ移住する。

そしてメルケルは、東西ドイツが統一される90年、
36歳まで共産主義下の東ドイツで暮らした。

https://www.christiantoday.co.jp/articles/24495/20170925/angela-merkel.htm

当初、コール政権のCDU内での
東独出身の「操り人形」と形容されたが、
ショイブレやコールの不祥事などから
彼女が急浮上して
2005年にCDUトップに上りつめた。

戦後の首相のなかで
アデナウアーもコールもカトリックで
フランスに親和的な精神構造を持ち
地理的にもフランスに近いラインラント
(ライン河のドイツ領沿岸地域)出身だったが、

プロテスタントで東独育ちのメルケルになってから、
ドイツは中東欧(Mitteleuropa)寄りに
大きく舵を切り替えたのである。

ここからフランスに対して従来よりも慎重で
かつやや「敵対的」、
さらにカトリック的伝統の強い南欧諸国との関係に
距離を置くようになったのである。

http://www.parisclub.gr.jp/paper-contribution-book/contribution/2015-04-27-1

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