日本からの期間炭鉱労働者第一陣59名がドイツに到着。★★

(1957年01月19日)

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1957年1月19日、
羽田発スカンジナビア航空機で渡独した第一陣の派遣労働者は59名であるが、
残りの1座席に搭乗したのは「この問題を最初に考えついた人」であり、
日本政府の責任者として引率した労働省職員大野雄二郎であった。

南回りの同機が、ドイツのデュッセルドルフ空港に到着したのは、
1月21日の朝である。(27)

(中略)

(三)渡航の意図と現実とのズレ

さて全国の鉱山から選び抜かれて派遣された第一陣59名は、
到着した二日後からドイツ語会話講座と坑外作業に従事している。(30)-(31)

石炭経協の資料によれば、
労使双方の希望で
六週間の坑外見習い作業期間は短縮され、
2月6日から8日の3日間の坑内見学の後、
鉱山保安監督署の特別許可のもとに
2月11日から
坑内見習い作業が開始されている。

予定より早期の坑内作業への従事が、
ドイツ語会話の不十分さによるトラブルの発生を引き起こし、
その後の問題につながることにもなったと思われる。

3月19日には、
鉱山保安監督署員の立ち会いのもとに
ドイツ語会話検定試験が実施され、
全員が合格した後、
4月1日から
一般の坑内作業に従事することになった。

この頃から、
派遣された炭鉱労働者の渡航の意図と
現実とのズレが露呈しはじめる。

この当時の率直な気持ちを、
第一陣59名のひとりとして
佐賀県の山口鉱業小城炭鉱から派遣された
角道武利氏(ドイツ在留)は、
次のように述べている。

「技術習得のための派遣ということなので、
午前中働いて、午後はドイツ語の勉強という生活だと思ってドイツへ来た。

ところが、研修の六週間が終り、
ただちに坑内現場に配属された時、
「こんなはずではなかった」という気持ちになった。

だから、せめて一ヶ月に一日休暇をもらい、
他の工場や鉱山の見学などをしたいことを会社側に要求した。

日本の労働省が、「技術習得」などといわないで、
最初から炭鉱労働者として働きにゆくのだと言っていれば、
こうはならなかった」。

また、同氏が今日も保持している派遣当時のパスポートには、
「右の者は日本国民であって、
技術習得のため
ドイツ連邦共和国(ビルマ及び必要諸国経由)へ赴くから
通路故障なく旅行させ且つ必要な保護扶助を与えられるよう、
その筋の諸官に要請する。昭和32年1月10日」とあり、
渡航目的が「技術習得のため」と記載されている。

第一陣59名の動向を追った深田祐介氏は、
この当時の状況を、

「ドイツ側は、日本の派遣炭鉱夫を
ガストアルバイターと呼んでおり、
日本側はこれが特別扱いの、
客員労働者を意味するものと
勝手に解釈していた。

従って、現地での仕事は、鉱山学校その他での研修が中心、
というより、研修がすべて、というくらいに考えていたのである。

ところが現地にきて、就業してみると、
派遣員は、すべて現場第一線に放りこまれ、
くる日もくる日も、猛烈な肉体労働に従事させられて、
研修が始まる気配はまったくない」、と記している。(31)-(32)

https://hinode.8718.jp/images/pdf/germany_japanese_miners_02.pdf
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ドイツ版「技能実習生」、ガストアルバイター制度の重い教訓

ドイツは教育と職業のつながりが強く、
職業資格が重視される資格社会。

ドイツ語習得という
最初の一歩でつまずいた移民は
そのまま社会からドロップアウトしかねない。

社会の底辺にいる移民たちは、
ドイツ人より低い社会保障と
ドイツ人より高い貧困率にあえぐ。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/04/post-9981.php
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平均時給は、ドイツ人労働者の平均を下回っていたが、
特別手当が支給される危険な仕事等を引き受けることで
それを補填していた。

また、「短期間で可能な限り稼ぐ」という目標から、
多くの者は超過勤務をいとわず、
外国人男性の月労働時間は、36%が200時間を超え、 (中略)

主に利益を得たのは、一部の企業である。

企業から見れば、ガストアルバイターは生産を拡大し、
賃金上昇を緩和し、
低い時給で高い利益と経済成長の維持に貢献してくれる存在だった。

もっともこれにより採算性のない事業が継続し、
労働力を節減する機械への投資がおろそかになった面もある。

https://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2014_12/germany_01.html
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しかし最大の原因は、
「帰る」という嘘を
50年に渡ってつき続けたことだと
指摘する人は多い。

この嘘によって
当局は移民政策を棚上げにし、
外国人は「融合」への努力を怠ることができた。

ドイツは、そのツケを
今後払っていかなければならないのだ。

http://www.newsdigest.de/newsde/column/jidai/1902-der-millionste-gastarbeiter/
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