【橋本内閣】ペイオフを凍結。
(1996年06月)副総理、大蔵大臣は、久保亘。(日本社会党)
https://ja.wikipedia.org/wiki/第1次橋本内閣
96年、預金者保護を名目にペイオフ制度を凍結し、
全額保証の代わりといって、
公的資金(税金)投入をはかりました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-03-19/12_01faq.html
1996 年 6 月、「金融3法」が公布された。
これらにより、2001 年 3 月までの時限措置として、
「ペイオフ凍結」(預金の全額保護)が行われた。
http://www.jsmeweb.org/ja/annual/pdf/11s/11s207takahashimasahiko.pdf
2001年だけで五〇近い地銀、信金・信組が破綻し、
九六年六月から二〇〇二年三月までのペイオフ凍結期間内に
一六四の金融機関が淘汰されました。
この間、金融安定化に投入された公的資金は
三〇兆円以上にのぼります。
(「銀行」伊藤雄一郎・著 p.6 )
ペイオフのリスクの最高のPRは、
実際にペイオフしてみることである。
従来、ペイオフの機会が無かった訳ではなかろうが、
いざとなると、護送船団の仕組みが機能して救済出来てしまった。
大きな金融機関に多発するとなると、今度は踏み切れず、
ペイオフ凍結に進んでしまう。
結局、預金者は、払戻しに押しかけたことはあっても、
実際に損失を負担したことは無かった。
http://www.sjnk-ri.co.jp/issue/quarterly/data/qt32kanto.pdf
ペイオフ凍結期間中(平成8年6月~平成14年3月末)の破綻金融機関
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