【IMF】タイの通貨危機を救済。

(1997年08月11日)

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このため国際通貨基金 (IMF) などは同年8月11日、
20日の2回に分けて172億ドル[2]の救済を行った。

1998年1月には、最低の56฿/$台を記録する。

タイ中央銀行が必死に自国通貨を買い支えるべく奮闘しながら
果たせなかった様を指して「血塗れのバーツ」とも呼ばれる。

信用を失ったバーツの下落は止まらず、
為替レートは危機前24.5฿/$だったが
半年後には50฿/$を下回った。

この後、タイ証券取引所(SET)の時価総額指数であるSET指数は
357.13(1997年の最高値は858.97、史上最高値は1994年の1753.73)まで下落し、
翌年には危機後最安値である207.31(史上最高値の11.8%)を記録した。

それまで対外資金によってファイナンスされていた不動産バブルの崩壊に加え、
IMFが融資条件として課した政府支出の削減と利子率の引き上げが、
景気後退期における総需要の更なる減少を招いたこともあり、
それまで好景気を謳歌していたタイ経済はあっという間に崩壊し、
タイでは企業の倒産・リストラが相次ぎ失業者が街に溢れかえった。

タイの通貨の変動を受けてバーツ経済圏にある、
ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジアも少なからず打撃を受けた。

IMFは40億ドル、世界銀行は15億ドル、アジア開発銀行は12億ドルを支援を行った。

このほか、二国間支援として
日本は40億ドル表明しアジア諸国へも二国間支援への働きかけを行い、
二国間支援総額として105億ドルが支援された。

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