銀行株が軒並み安値を更新。

(1997年01月)

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こうしたなかで,97 年 1 月になると,
銀行株は軒並み安値を更新したが,
なかでも拓銀株は
外資系証券会社から大量のカラ売りを浴びせられ,
一気に 200 円を割り込む事態となった。

拓銀株が 100 円台に落ち込むのは,
実に 18 年ぶりのことであった。

株価の下落で,
信用力の低下が白日のもとに晒されると,
今度は預金の流出か始まった。

最初は機関投資家など
大口預金者の解約として始まったが,
3 月にはマスコミの標的となったことから
預金の流出は
個人の定期預金の解約へと拡大した。

マスコミの標的となった翌日の 1 日 だけで
流出額は 10 億円以上に達した。

定期預金は解約すると手数料を取られ損であるにもか かわらず,
次の日も億単位で預金の流出は続き,
事態の深刻さは誰の目にも明らかであった。

ついに,河谷頭取は
合併以外に生き残る道はないと判断した 26)。

http://r-cube.ritsumei.ac.jp/bitstream/10367/1736/1/be415_01hattoriyasu.pdf

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