宮沢大蔵大臣がベーカー財務長官と会談し、減税、公共投資の増額、利下げを要求される。

(1986年09月)

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7月。第三次中曽根内閣が発足。(昭和61年7月22日)

中曽根首相は円高対策のため、
宮沢氏を大蔵大臣に起用しました。

円高批判をしてきた宮沢氏が、
日米の通貨外交の最前線に立たされました。

9月。宮沢蔵相は、
ベーカー長官と会うため、ひそかにアメリカに飛びました。

-サンフランシスコ-

1ドルは、150円にせまる勢いでした。

ベーカー長官は、
再び日米が協調するための、
2つの条件を出してきました。

日本はもっと内需拡大すべきであった。

減税を行い、補正予算を組んで公共投資を増やし、
金利を下げて、景気を拡大してほしい。

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ベーカー長官の要求

・減税
・公共投資の増額
・金利の引き下げ
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宮沢
「ほいで、ベーカーに言ったんだけど、補正はすると。

しかし、今年はもう9月だから、大きな補正はできないって。

それにその、こういうことについて、
国債を出さなきゃならん、減税をしなきならんてな話は、
とても僕はその、三月やそこらじゃ、財政当局、説得できない。」

赤字国債を出しても、
アメリカの要求を飲むしかない。

宮沢蔵相は決意しました。

しかし、大蔵官僚の壁が立ちはだかります。

官僚たちは、大規模な補正予算には反対でした。

田中首相の列島改造以来、
大量の赤字国債を抱えていたからです。

宮沢
「ところが、大蔵省の主計局の連中がですね、
こんなにこう不景気で、税収が減ってる時に、
赤字国債出したり、減税したりして、
ますます減っちゃったらどうすんですかと、財政はと。

というから、私は、随分議論しましたよそれは。

こういうときこそ、ちゃんと思い切ってやって、
日本経済の円高に、対応できたら、必ず税収増えるから、
ここはもう俺に任してもらわないと困ると。

いう議論を、ずいぶん何度もやりましたね。」

結局、内需拡大の財政政策として、
3兆円規模の大型景気対策が組まれました。

公共事業の増額は、5,400億円。

その内訳は、一般の公共事業と、災害復旧費でした。

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61年度の災害復旧など事業費

・当初予算 874億4,100万円
・追加予算 4,160億2,100万円
・計 5,034億6,200万円
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ところが、金額の多い災害復旧費は、
来年度予算の前倒しでした。

アメリカが望んだ新たな公共事業の増額は、1,300億円。

赤字国債の発行を避けるため、
大蔵省が練り上げた苦肉の策でした。

https://youtu.be/mhWtXdVywV8?t=2357

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