からくりの歴史(1.04版)
備忘録的メモ初版:「大ロボット博」図録より起稿/1.04版:「西田明夫 摩訶不思議図鑑ーからくりおもちゃ・オートマタ 西田明夫 木工細工の世界ー」(有馬玩具博物館)の情報を追加
0000年 |
- | 中国の国家の創立者である黄帝・軒轅(けんえん)が「指南車」を戦に用いる(0000年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀)※「指南車」は常に南を指し示す車のこと※黄帝… |
0235年 |
- | 馬鈞が明帝(曹叡)の命により「指南車」を製作する(0235年)出展:「西田明夫 摩訶不思議図鑑ーからくりおもちゃ・オートマタ 西田明夫 木工細工の世界ー」(有馬玩具… |
0658年 |
- | 斉明天皇統治下の日本で「指南車」が製作される(0658年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀)※「指南車」は古代中国の黄帝がつくらせたとい… |
1106年 |
- | この頃成立の「今昔物語」24巻に高陽親王が人形を創る、とある(我が国最古9世紀前後のからくり人形の記事)(1106年)和暦:嘉承一年出展:「大ロボット博」図録 |
1421年 |
- | 宮中の出来事を記した「看聞御記」に『鐘を打ち、舞うからくり人形』の記述が現れる(1421年)和暦:応永二十八年出展:「大ロボット博」図録 |
1551年 |
- | イエズス会の司祭フランシスコ・ザビエルが大内義隆に機械仕掛けの時計を献上する(1551年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀) |
1598年 |
- | 津田助左衛門が機械仕掛けの時計の構造を解析し、同様の物を製作する(1598年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀) 「老人雑話」に秀吉と秀頼が参内のときに、銭を入れると這う人形をもらった、という記述が現れる(1598年)和暦:慶長三年出展:「大ロボット博」図録 |
1620年 |
- | 名古屋東照宮の祭りにからくり仕掛けの山車、橋弁慶車が出る(1620年)和暦:元和六年出展:「大ロボット博」図録 |
1662年 |
- | 大阪道頓堀で竹田出雲が、からくり芝居の初興行を行う(1662年)和暦:寛文二年出展:「大ロボット博」図録 |
1675年 |
- | 井原西鶴、茶運び人形の句を作る(茶運ぶ 人形の車 はたらきて)(1675年)和暦:延宝三年出展:「大ロボット博」図録 |
1705年 |
- | 竹田出雲と近松門左衛門の合作人形浄瑠璃「用明天皇職人鑑」にからくり仕掛けが用いられる(1705年)和暦:宝永二年出展:「大ロボット博」図録 |
1707年 |
- | 武田近江(出雲)、名古屋三条小鍛冶車の山車からくり人形を製作する(1707年)和暦:宝永四年出展:「大ロボット博」図録 |
1721年 |
- | 徳川吉宗統治下の幕府が、民衆の気晴らしの必要性を意識し、見世物やからくり分野に対する研究を許可する(1721年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀) |
1722年 |
- | 初代玉屋庄兵衛が林和靖車(伝馬町)の鶴のからくりを作る(1722年)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
1730年 |
- | 多賀谷環中仙が武田からくり芝居の図解本「機訓蒙鑑草」を刊行する(1730年)和暦:享保十五年出展:「大ロボット博」図録出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀)※… |
1734年 |
- | 京都で竹田からくりの流れを汲む人形師であった初代玉屋庄兵衛が名古屋へ移住する(1734年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) 人形細工師初代庄兵衛、京より名古屋城下の玉屋町に移住する(2007年現在、玉屋庄兵衛は九代目)(1734年)和暦:享保十九年出展:「大ロボット博」図録 |
1762年 |
- | 常陸国谷田部に、茶運び人形や時計塔を造った飯塚伊賀七が生まれる(1762年)和暦:宝暦十二年出展:「大ロボット博」図録 |
1769年 |
- | 太田南畝「半日閑話」に江戸浅草奥山のカラクリ見せ物の記事が現れる(1769年)和暦:明和六年出展:「大ロボット博」図録 |
1781年 |
- | 高山祭の屋台(山車)にからくりが導入される(1781年)※天保年間(1781年から1889年頃)の出来事出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1787年 |
- | 森島中良が「紅毛雑話」を刊行する(1787年)和暦:天明七年出展:「大ロボット博」図録 |
1796年 |
- | 土佐の細川半蔵が「機巧図彙」を刊行する(1796年)和暦:寛政八年出展:「大ロボット博」図録 |
1798年 |
- | 「摂津名所図会」にオランダ人が武田からくり芝居を見学した図と記事が現れる(1798年)和暦:寛政十年出展:「大ロボット博」図録 |
1799年 |
- | 田中久重(からくり儀右衛門)、筑後久留米のべっ甲細工師の長男として生まれる(1799年)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
1800年 |
- | 饅頭屋店頭で、客寄せにゼンマイ仕掛けの人形が用いられる(1800年)和暦:寛政十二年出展:「大ロボット博」図録 |
1801年 |
10月 | 佐々木薫(または義時)(後の大野弁吉)、京都五条通りの羽子細工師の子として生まれる(1801年10月)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
1802年 |
- | 滝沢(曲亭)馬琴が京都で寛永期の遊女吉野太夫の遺品、蟹のからくりを見学する(1802年)和暦:享和二年出展:「大ロボット博」図録出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀)※そ… |
1820年 |
- | 田中久重、久留米でからくり上演する(1820年)和暦:文政三年出展:「大ロボット博」図録 |
1831年 |
- | 大野弁吉、妻ウタの郷里である加賀国大野へ移り住む(1831年)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
1851年 |
- | 田中久重が国産機械時計の万年時計(万年自鳴鐘)を製作する(1851年)和暦:嘉永四年出展:「大ロボット博」図録 |
1852年 |
- | 田中久重が京都四条烏丸に「機巧堂」店舗を構える(1852年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1853年 |
- | 大野弁吉、ゼンマイ仕掛けの蛙を製作する(自著「一東視窮録」に図解)(1853年)和暦:嘉永六年出展:「大ロボット博」図録 |
1855年 |
- | 田中久重が佐賀藩の精煉方(現代で言う理化学研究所)で模型機関車を作り上げる(1855年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1866年 慶応2年 |
- | からくり見世物がアメリカ興行する(1866年)和暦:慶応二年出展:「大ロボット博」図録 |
1870年 明治3年 |
- | 大野弁吉、コレラにより死去する(1870年)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
1878年 明治11年 |
- | 明治天皇が山田笛褒の「かむろ人形」を台覧し、「明治の左甚五郎」と激賞する(1878年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1894年 明治27年 |
- | 浅草で竹田縫之助がからくり見世物興行を行う(1894年)和暦:明治二十七年出展:「大ロボット博」図録 |
1923年 大正12年 |
- | 高階正守(七代目玉屋庄兵衛)が誕生する(1923年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1937年 昭和12年 |
- | 戦争の激化を受け、この年の東照祭を最後に山車からくりが自粛中止となる(1937年)出展:「人形からくり」(立川昭二)※昭和二十年の戦災により、山車は倉ごと灰になり失われた |
1961年 昭和36年 |
- | 桐生で江戸時代から続く竹田からくり芝居興行が行われる(1961年)和暦:昭和三十六年出展:「大ロボット博」図録 |
1967年 昭和42年 |
04月 | 早稲田大学理工学部の学生と立川昭二らが「機巧図彙」をもとに「茶運人形」の再構成に成功する(1967年04月)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1969年 昭和44年 |
- | 立川昭二が「からくり」を出版する(1969年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1970年 昭和45年 |
- | 大阪万博に復元した「茶運人形」が展示される(1970年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1988年 昭和63年 |
05月 | 七代目玉屋床兵衛、逝去する(1988年05月)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1989年 昭和64年 |
01月 | 八代目玉屋庄兵衛が名古屋の若宮大通りに「からくり時計塔」を作る(1989年01月08日)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1991年 平成3年 |
03月 | 田中久重銘の「弓射り童子」(東野進による修復済)が日本機械学会で公開される(1991年03月)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1992年 平成4年 |
11月 | 筑波で開催された「第二回ロボットにおける計測と制御に関する国際シンポジウム」にて、立川昭二が「からくりー江戸のロボットー」という講演を行う(1992年11月11日)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
1999年 平成11年 |
- | 一時途絶えていた竹田からくり芝居興行が再現される(1999年)和暦:平成十一年出展:「大ロボット博」図録 |
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