からくりの歴史(1.04版)と博多祇園山笠年表の比較
年代 | からくりの歴史(1.04版) | 博多祇園山笠年表 |
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0000年 |
中国の国家の創立者である黄帝・軒轅(けんえん)が「指南車」を戦に用いる(0000年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀)※「… |
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0235年 |
馬鈞が明帝(曹叡)の命により「指南車」を製作する(0235年)出展:「西田明夫 摩訶不思議図鑑ーからくりおもちゃ・オートマ… |
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0658年 |
斉明天皇統治下の日本で「指南車」が製作される(0658年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀)※「… |
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0939年 |
天慶の乱(藤原純友の乱)はじまる(0939年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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0941年 |
小野好古が祇園社を京都より勧請する(0941年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1106年 |
この頃成立の「今昔物語」24巻に高陽親王が人形を創る、とある(我が国最古9世紀前後のからくり人形の記事)(1106年)和暦:嘉承一年出展:「大ロボット博」図録 |
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1241年 |
聖一国師が疫病退散のため、施餓鬼棚に乗り聖水をふりまき博多の町を清める(1241年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1421年 |
宮中の出来事を記した「看聞御記」に『鐘を打ち、舞うからくり人形』の記述が現れる(1421年)和暦:応永二十八年出展:「大ロボット博」図録 |
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1432年 |
「九州軍記」に山笠の記述あり(1432年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1437年 |
京都の木偶師小堀善右衛門を博多に招聘する(1437年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1456年 |
大内氏が、山笠に立てる松を、筥崎宮の松林より伐採することを禁止する(1456年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1551年 |
イエズス会の司祭フランシスコ・ザビエルが大内義隆に機械仕掛けの時計を献上する(1551年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀) |
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1587年 |
秀吉が島津征伐のため九州出兵、太閤町割りにより、「流れ」という町内組織が形成される(1587年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1598年 |
津田助左衛門が機械仕掛けの時計の構造を解析し、同様の物を製作する(1598年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀) 「老人雑話」に秀吉と秀頼が参内のときに、銭を入れると這う人形をもらった、という記述が現れる(1598年)和暦:慶長三年出展:「大ロボット博」図録 |
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1603年 |
江戸幕府が成立する(1603年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1620年 |
名古屋東照宮の祭りにからくり仕掛けの山車、橋弁慶車が出る(1620年)和暦:元和六年出展:「大ロボット博」図録 |
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1642年 |
黒田家二代藩主忠之が松囃子を再興する(1642年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1662年 |
大阪道頓堀で竹田出雲が、からくり芝居の初興行を行う(1662年)和暦:寛文二年出展:「大ロボット博」図録 |
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1668年 |
幕府より、山笠行事に対し倹約令が出される(1668年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1673年 |
山笠作りの当番町割りを決める。以後、山笠六本七流れに割り付け、無役の一流れに能当番を務めさせる(1673年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1675年 |
井原西鶴、茶運び人形の句を作る(茶運ぶ 人形の車 はたらきて)(1675年)和暦:延宝三年出展:「大ロボット博」図録 |
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1687年 |
<追い山笠>がはじまる(1687年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1705年 |
竹田出雲と近松門左衛門の合作人形浄瑠璃「用明天皇職人鑑」にからくり仕掛けが用いられる(1705年)和暦:宝永二年出展:「大ロボット博」図録 |
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1707年 |
武田近江(出雲)、名古屋三条小鍛冶車の山車からくり人形を製作する(1707年)和暦:宝永四年出展:「大ロボット博」図録 |
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1708年 |
この年より奇数番の山笠を修羅物(さし山)、偶数番を鬘物(堂山)につくらせる(1708年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1721年 |
徳川吉宗統治下の幕府が、民衆の気晴らしの必要性を意識し、見世物やからくり分野に対する研究を許可する(1721年)出展:「人形の文化史ーヨーロッパの諸相からー」(香川檀) |
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1722年 |
初代玉屋庄兵衛が林和靖車(伝馬町)の鶴のからくりを作る(1722年)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
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1730年 |
多賀谷環中仙が武田からくり芝居の図解本「機訓蒙鑑草」を刊行する(1730年)和暦:享保十五年出展:「大ロボット博」図録出展:「人形の文… |
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1734年 |
京都で竹田からくりの流れを汲む人形師であった初代玉屋庄兵衛が名古屋へ移住する(1734年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) 人形細工師初代庄兵衛、京より名古屋城下の玉屋町に移住する(2007年現在、玉屋庄兵衛は九代目)(1734年)和暦:享保十九年出展:「大ロボット博」図録 |
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1762年 |
常陸国谷田部に、茶運び人形や時計塔を造った飯塚伊賀七が生まれる(1762年)和暦:宝暦十二年出展:「大ロボット博」図録 |
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1769年 |
太田南畝「半日閑話」に江戸浅草奥山のカラクリ見せ物の記事が現れる(1769年)和暦:明和六年出展:「大ロボット博」図録 |
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1781年 |
高山祭の屋台(山車)にからくりが導入される(1781年)※天保年間(1781年から1889年頃)の出来事出展:「甦えるからく… |
「博多津要録」二十八巻成る(1781年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
1787年 |
森島中良が「紅毛雑話」を刊行する(1787年)和暦:天明七年出展:「大ロボット博」図録 |
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1796年 |
土佐の細川半蔵が「機巧図彙」を刊行する(1796年)和暦:寛政八年出展:「大ロボット博」図録 |
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1798年 |
「摂津名所図会」にオランダ人が武田からくり芝居を見学した図と記事が現れる(1798年)和暦:寛政十年出展:「大ロボット博」図録 |
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1799年 |
田中久重(からくり儀右衛門)、筑後久留米のべっ甲細工師の長男として生まれる(1799年)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
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1800年 |
饅頭屋店頭で、客寄せにゼンマイ仕掛けの人形が用いられる(1800年)和暦:寛政十二年出展:「大ロボット博」図録 |
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1801年 |
佐々木薫(または義時)(後の大野弁吉)、京都五条通りの羽子細工師の子として生まれる(1801年10月)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
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1802年 |
滝沢(曲亭)馬琴が京都で寛永期の遊女吉野太夫の遺品、蟹のからくりを見学する(1802年)和暦:享和二年出展:「大ロボット博」図録出展:「人形の文化… |
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1820年 |
田中久重、久留米でからくり上演する(1820年)和暦:文政三年出展:「大ロボット博」図録 |
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1828年 |
「筑前名所図会」十巻成る(1828年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1831年 |
大野弁吉、妻ウタの郷里である加賀国大野へ移り住む(1831年)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
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1848年 |
櫛田神社境内に「清道旗」が立つ(1848年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1851年 |
田中久重が国産機械時計の万年時計(万年自鳴鐘)を製作する(1851年)和暦:嘉永四年出展:「大ロボット博」図録 |
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1852年 |
田中久重が京都四条烏丸に「機巧堂」店舗を構える(1852年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
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1853年 |
大野弁吉、ゼンマイ仕掛けの蛙を製作する(自著「一東視窮録」に図解)(1853年)和暦:嘉永六年出展:「大ロボット博」図録 |
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1855年 |
田中久重が佐賀藩の精煉方(現代で言う理化学研究所)で模型機関車を作り上げる(1855年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
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1866年 慶応2年 |
からくり見世物がアメリカ興行する(1866年)和暦:慶応二年出展:「大ロボット博」図録 |
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1868年 慶応4年 |
明治維新(1868年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1870年 明治3年 |
大野弁吉、コレラにより死去する(1870年)出展:「人形からくり」(立川昭二) |
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1872年 明治5年 |
福岡県幹部より山笠・松囃子に禁止令が出される(1872年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1875年 明治8年 |
「ゆかた山笠」建つ(1875年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1878年 明治11年 |
明治天皇が山田笛褒の「かむろ人形」を台覧し、「明治の左甚五郎」と激賞する(1878年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
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1883年 明治16年 |
山笠再興が認可される。ただし電信線架設のため、以前の五十二、三尺(約16メートル)という高さの物は不可能となる(1883年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1892年 明治25年 |
各町の世話人の陳情により電信線が高くなり、山笠の高さも約14、5メートルになる(1892年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) 福岡県知事より山笠中止論が出され、大論争が起こる。その結果、飾り山、曳き山両様式で存続させることになる(1892年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1894年 明治27年 |
浅草で竹田縫之助がからくり見世物興行を行う(1894年)和暦:明治二十七年出展:「大ロボット博」図録 |
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1905年 明治38年 |
<追い山ならし>当日、雷鳴を出発合図と間違え、「櫛田入り」に大混乱が起こる(1905年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1911年 明治44年 |
山笠開催期間を、旧暦から新暦に変更する(1911年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1913年 大正2年 |
福神流れが能当番のみを担当する(1913年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1923年 大正12年 |
高階正守(七代目玉屋庄兵衛)が誕生する(1923年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
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1935年 昭和10年 |
山笠がはじめて那珂川をわたり、福岡入りする(恵比須流れのみ)(1935年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1937年 昭和12年 |
戦争の激化を受け、この年の東照祭を最後に山車からくりが自粛中止となる(1937年)出展:「人形からくり」(立川昭二)※昭和二十年の戦災により、… |
日独伊三国防共協定調印、同年「山笠建設補助に関する建議案」が福岡市議会で可決する(1937年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
1938年 昭和13年 |
イタリア訪日親善大使らに「櫛田入り」を披露する(1938年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1941年 昭和16年 |
太平洋戦争が勃発する(1941年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1945年 昭和20年 |
ポツダム宣言受諾、太平洋戦争終結する(1945年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1946年 昭和21年 |
「第一次博多復興祭」が開催され、山笠(ただしこども山笠)・松囃子・どんたく行列が復興する(1946年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1947年 昭和22年 |
「博多祇園山笠展覧会」(福岡)が開催される(1947年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1948年 昭和23年 |
七流れが戦後初の「櫛田入り」を果たす(本格的な山笠の復興)(1948年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1949年 昭和24年 |
「博多祇園山笠振興期成会」が結成される(初代会長は落石栄吉)(1949年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1952年 昭和27年 |
「博多祇園山笠今昔物語」(落石栄吉著)が刊行される(1952年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1953年 昭和28年 |
博多祇園山笠が福岡県の重要文化財に指定される(1953年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1954年 昭和29年 |
博多祇園山笠が国の無形文化財に選定される(1954年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1955年 昭和30年 |
「博多祇園山笠振興期成会」を「博多祇園山笠振興会」に改組する(初代会長は落石栄吉)(1955年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1956年 昭和31年 |
「国際見本市」(米国・シカゴ)に飾り山を展示する(1956年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1960年 昭和35年 |
博多祇園山笠が福岡県の無形文化財に指定される(1960年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1961年 昭和36年 |
桐生で江戸時代から続く竹田からくり芝居興行が行われる(1961年)和暦:昭和三十六年出展:「大ロボット博」図録 |
「博多祇園山笠史談」(落石栄吉著)が刊行される(1961年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
1962年 昭和37年 |
<集団山みせ>がはじまる(1962年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1964年 昭和39年 |
上新川端町の「動く飾り山」が櫛田入りに登場する(1964年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1966年 昭和41年 |
福岡市が町界町名整理を施行する(1966年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1967年 昭和42年 |
早稲田大学理工学部の学生と立川昭二らが「機巧図彙」をもとに「茶運人形」の再構成に成功する(1967年04月)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
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1969年 昭和44年 |
立川昭二が「からくり」を出版する(1969年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
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1970年 昭和45年 |
大阪万博に復元した「茶運人形」が展示される(1970年)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
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1971年 昭和46年 |
寿通などに「子供山笠」が誕生する(1971年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1975年 昭和50年 |
「博多山笠記録」(博多祇園山笠振興会発行)が刊行される(1975年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1978年 昭和53年 |
「全国郷土祭」(東京)に参加する(1978年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1979年 昭和54年 |
博多祇園山笠が国の重要無形民俗文化財に指定される(1979年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1980年 昭和55年 |
「アロハ・ウィーク・フェスティバル」(米国・ハワイ)に参加する(1980年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1988年 昭和63年 |
七代目玉屋床兵衛、逝去する(1988年05月)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
「国際レジャー博覧会」(豪州・ブリスベン)、および「ジャパン・ウィーク」(ニュージーランド・オークランド)に参加する(1988年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
1989年 昭和64年 |
八代目玉屋庄兵衛が名古屋の若宮大通りに「からくり時計塔」を作る(1989年01月08日)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
「アジア太平洋博覧会」(福岡)に参加する(1989年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
1990年 平成2年 |
「国際花と緑の博覧会」(大阪)に参加する(1990年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1991年 平成3年 |
田中久重銘の「弓射り童子」(東野進による修復済)が日本機械学会で公開される(1991年03月)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
「博多山笠七五〇年記念式典」(福岡)を開催する(1991年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
1992年 平成4年 |
筑波で開催された「第二回ロボットにおける計測と制御に関する国際シンポジウム」にて、立川昭二が「からくりー江戸のロボットー」という講演を行う(1992年11月11日)出展:「甦えるからくり」(立川昭二) |
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1994年 平成6年 |
平安建都千二百年記念「全国祇園祭山笠巡行」(京都)に参加する(1994年)出展:「FUKUOKA STYLE vol.9」(福博綜合印刷株式会社) |
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1999年 平成11年 |
一時途絶えていた竹田からくり芝居興行が再現される(1999年)和暦:平成十一年出展:「大ロボット博」図録 |
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