この西ローマ帝国の滅亡(古代の終わり・中世の始まり)
(0476年)滅亡年は一般に476年9月4日(ロムルス・アウグストゥルスがゲルマン人傭兵オドアケルの圧迫を受けて退位)というのが一般的な説であるが、480年(ユリウス・ネポス殺害)とする説もある。通常、この西ローマ帝国の滅亡をもって古代の終わり・中世の始まりとする。
なお、東ローマ帝国は、西ローマ帝国滅亡から1000年近く存続したが、1453年にオスマン帝国によって滅ぼされた。詳細は「東ローマ帝国」の項目を参照のこと。
西ローマ帝国の最も重要な遺産であるカトリック教会に感化されて、もとの西ローマ帝国の版図の中から新生の好戦的な蛮族の王国がいくつも登場し、ついにはカトリック信仰やローマの文化、ローマ法を採用した。徐々にこれら蛮族は、自らをローマの遺産の「真の相続者」とみなすようになっていった。
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