脳死移植、模索10年 実績伸び悩み62例 救急現場に余裕なし

(2007年10月18日)

005962007年10月18日朝刊3総合00302739臓器移植法が施行され、脳死移植が可能になってから10年。この間に実施された脳死移植は62例と伸び悩み、欧米の実績との差が縮まる気配はない。だが、提供意思を示していた人が脳死に陥った際に、その意思を生かせる態勢は整っているのか。提供を支える医療現場には課題が山積している。(野瀬輝彦、西川迅)

西日本に住む50代男性は9月下旬、臓器提供を受けた元患者や家族、提供者側の家族ら約130人が集まって新潟市で開いたスポーツ大会に参加。ダーツやウオーキングを楽しんだ。
99年2月、大阪大学で心臓の移植手術を受けた。高知市であった初の法的脳死判定で、移植患者に選ばれた。肥大型心筋症で1年半ほど前から入院中だった。
手術から3カ月後には退院、その約半年後には職場復帰も果たした。今は家庭菜園で汗を流し、三味線をつまびく。1日約4キロの散歩も日課だ。「ドナー(提供者)の尊い気持ちのおかげ。その気持ちを大切にして生きていきたい」と話す。
だが男性のような人はわずかだ。10年間に行われた法的脳死判定は63。うち62人から計250人に移植された。
日本臓器移植ネットワークによると、移植を受けたいと登録する患者は心臓で99人、肺で133人。腎臓、肝臓も計1万1911人いる。臓器移植患者団体連絡会は「この10年に、移植を受けられず亡くなった心臓病患者は4千人」と訴える。
脳死移植が進まない理由は何か。有賀徹・昭和大学医学部教授(救急医学)は「救急医療の現場に余裕がないためだ」と指摘する。
06年、全国の救命救急センターなどに前年の脳死発生状況を尋ねた。回答のあった541施設で脳死を経たと見られる死亡例は約5500例。だが、治療目的などで臨床的脳死を判断したのは約1600例だけ。判定しない理由は「時間がかかるから」「面倒な仕事になる」などが多かった。
法的脳死判定は、臨床判断より時間や人手がかかる。慢性的に人手不足の救急医療の現場には、負担感が強い。
家族が法的脳死判定を受けて臓器提供をした関東地方の男性(63)は、意思表示カードがあることを主治医に伝えた際の微妙な空気を覚えている。「やっかいなものが来た、という反応に感じた。ややこしくなるので迷惑かな、と思った」
関東地方の病院では、法的脳死判定の際、集中治療室の看護師や麻酔科医師らが3日間、提供者に付き添った。検査技師や事務職員も普段しない夜勤をした。
「積極的になれない病院があるのも分かる。多職種がかかわる脳死移植は、病院の総合力が試される」と病院関係者は話す。

◆家族説明で、医師ら困惑
施設や人手の問題以外にも、医師ら医療関係者側には戸惑う要因がある。「救命の現場で、臓器提供について話をすれば、家族に十分に治療してくれないのではという不信感を抱かせるのではないか。そう不安に感じる医療関係者は多い」と福岡県の岩田誠司・移植コーディネーターは話す。
対策は始まっている。福岡県では05年から、臓器移植について説明する冊子を県が作り、病院に配布する。「話しにくいが、文書なら」という医師らに活用してもらう。
同県飯塚市の飯塚病院では06年10月以降、冊子を家族に手渡すケースが35例あった。そのうち1例で、家族は心停止後の提供を申し出た。「治療方針を説明するのと同様に、臓器提供という選択肢を家族に示すのは当然だと思う。行政の冊子なら、家族が誤解する恐れも低いのでは」と名取良弘・脳神経外科部長。
NPO「北海道移植医療推進協議会」は03年、道内の医師、看護師ら約千人に意識アンケートをした。脳死を人の死と認めたのは38・8%。さらに「分からない」と4割が答えた。「移植への理解が不足していることがはっきりした」と北海道大病院臓器移植医療部の嶋村剛准教授は話す。
同協議会は同年から、患者や家族と医療者の橋渡し役を務める院内コーディネーターを育成する講習会を始めた。看護師らを対象に毎年開き、21人が修了した。
03年にゼロだった腎臓提供は04年以降、毎年10件前後になった。「移植に理解のあるスタッフを増やせば状況は変わるはずだ」と嶋村さんは強調する。

◆身内優先提供の改正案
脳死や心停止後の移植が進まない一方、生きている人が親族に肝臓や腎臓を提供する「生体移植」が増えている。05年実績では、脳死9件に対して生体腎834件、生体肝561件。目の前で苦しむ人を救いたいと提供する家族らが、数字を押し上げている。
やっと昨年3月に議員提案された改正2法案。実質的な審議入りはまだだが、両案とも、親族に優先的に提供して欲しければ、意思表示カードなどに記せる。
脳死下で実際にあった事例がきっかけだ。01年7月、脳死と判定された男性は親族への腎臓提供を希望していた。移植ネットと厚生労働省が協議した結果、意思を尊重して腎臓病を患う親族に供された。現行法では移植患者の「指名」を禁じる規定はなかった。
同省審議会で関係者が議論を重ねたが、「限定的に認めてもよい」「病気の家族がいると提供への重圧がかかる」と意見が噴出。「指名」は当面認めないとし、国会での議論に期待して結論を先送りした経緯がある。
これに対し、生命倫理政策研究会・共同代表のぬで島(ぬでしま)次郎さんは「(指名は)機会の公平性という法の基本理念に反する。親族からもらえるとなると脳死移植を狭い人間関係に閉じこめ、かえって全体の発展を阻害するのでは」と懸念を示す。

■脳死移植をめぐる主な動き
1968年8月 札幌医大の和田寿郎教授が日本初の心臓移植(患者は後に死亡)。後に殺人容疑で札幌地検に告発されたが不起訴
84年5月 日本人が初めて米国で心臓移植を受ける
92年1月 脳死臨調が脳死・臓器移植の承認を首相に答申
97年10月 臓器移植法施行
99年2月 高知市の病院で法施行後初の脳死判定
2001年4月 脳死心臓移植が「高度先進医療」として一部保険適用に
05年8月 改正法案が国会に提出されるが廃案に
06年3月 改正2法案が提出される
同年4月 心臓、肺、肝臓、膵臓(すいぞう)の脳死移植が保険適用に
07年6月 衆院厚生労働委員会に小委員会を設置
同年10月 法施行10年。脳死移植は計62例に

■各国の臓器提供件数
脳死 生体 心停止
スペイン 33.8 2.1 1.3
米国 22.2 21.3 0
フランス 18.6 0 0
日本 0 8.5 0.6

【写真説明】
法施行後に初めて提供された心臓は、西日本に住む男性に移植された=99年2月、大阪大学付属病院で