(社説)臓器移植法 子供も救える道を

(2006年04月18日)

007102006年04月18日朝刊3総合00301134亡くなった人が生きている人のために臓器を残す。それが際だって少ないのが日本である。
97年秋に臓器移植法が施行され、脳死移植が法的に認められるようになった。しかし、まだ44例にとどまる。
移植を待ちながら亡くなる人も多い。脳死移植の代わりとして、親族からの生体移植が増えた。今の法律では臓器を提供できるのは、自分の意思を表明できる15歳以上に限られるので、海外へ渡って移植を受ける子供が後を絶たない。
こうした状況を変えようと、二つの臓器移植法改正案が与党議員から国会に提出された。
与党内で何度も議論したが、一つにまとまらなかった。しかも二つの法案は考え方が全く異なる。ここに脳死移植をどう進めるかの難しさが示されている。
今の法律は、臓器を提供する場合に限って脳死を人の死としている。本人の意思がカードなどの書面で示され、さらに家族が同意して初めて、脳死した人の体から臓器を取り出すことができる。
自民党の河野太郎衆院議員らの案は、この枠組みを根本から変えるものだ。脳死を一律に人の死としたうえで、本人がいやだといわない限り、家族の同意で提供できるようにする。従って子供も親の同意で提供できる。
一方、公明党の斉藤鉄夫衆院議員らの案は、今の法律の枠組みのまま、臓器を譲れる年齢を「15歳以上」から「12歳以上」に広げる。子供から子供への臓器移植を少しでも増やすのがねらいだ。
どちらの案がいいのか。今の法律ができたとき、最初に国会に提出された法案は今回の河野案とほぼ同じ内容で、脳死を人の死としていた。国会で激論の末、日本ではまだ脳死を人の死とする社会的合意ができていないとして、本人の意思を尊重するよう修正された。
脳死を人の死と受け入れられない人はいまでも少なくないだろう。脳死で臓器を提供するには本人の同意が必要だ。そう定める今の法律の考え方は大切にした方がいい。そのうえで、臓器を提供したいと思う人を増やす努力をすべきだ。
それでも、子供をどうするのかという問題が残る。斉藤案のように提供できる年齢を12歳まで広げても、小さい臓器が必要な乳幼児は助けられない。
子供の臓器移植は、大人以上に様々な問題がある。子供の脳は回復力が高く、脳死判定が難しい。親による虐待で脳死に至る例もあるだろう。
しかし、子供の救われる道が日本では完全に閉ざされている現状を、いつまでも放置するわけにはいくまい。
たとえば、自分で判断できない年齢の場合は、例外的に親の同意で提供できるようなことを考える時期かもしれない。むろん、虐待した親が提供の判断をするようなことを防ぐ仕組みは必要だ。
子供の移植にも道を開く。国会だけにまかせずに、国民の間でも、その知恵を絞っていきたい。

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