イリヤ・カバコフ「掛けられていない絵」

(1982年)

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ケルンのルートヴィヒ美術館のメイン・ギャラリーを外れた所に、いくぶんみずぼらしい部屋がある。大型の油絵を設置する作業員たちが、絵を壁に立てかけたまま、仕事の途中で昼食に出かけてしまったーそんな光景だ。絵の脇には脚立、まわりの床には金槌や釘が散らばっている。だが作業員の残したがらくたも絵と同じように作品の一部なのである。しばらく見ているうちに、これがソ連の集団生活空間の複製であることに、人々は思い当たる。照明は電球一個だけで、絵画に描かれているのは、19世紀の前衛芸術家たちが集まった田舎の別荘で今では美術館になっている。アブラムツェヴォである。これが未完の、いっときだけの印象を与える光景であることは重要だ。カバコフいわく「作業開始時点と、それが「未完状態にあること」のあいだに、自由な空間が立ち現れる。その時間は問いかけ、憶測、内省でうめつくされる」問いかけの多くは、来場者のコメントという形で用意され、壁に貼付けられているが、この場合の来場者というのは、カバコフが勝手に想定した面々である。たとえば「この美術家はダメだ。美しい主題を選びながら、こんなに卑俗で平凡な仕事しかしていないーI.メドヴェーデフ」とか「これは建造後の美術館なのに、改装工事がひどい。もとの美術館はめちゃくちゃにされたーL,トウレツキ」とか、ほかに、追憶や苛立ちを述べたコメントもある。カバコフの言う「全体としてのインスタレーション」つまり日常性の演劇的な表現。現実の幻影像にとって、これらのテクストは必要不可欠なものとなっている。そのような作品には、不協和音や批判的な声が内在している。

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