ダン・グレアム「アメリカのための家」

(1966年)

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カラー写真と言えば、休暇に出かけて撮るスナップ写真や、雑誌「ナショナル・ジオグラフィック」の光沢のある写真の専売特許で、「芸術写真」はほとんどすべて白黒写真だった。そういう芸術写真から受ける現実との距離感、それが純粋に「芸術的な」質をさらに浮き彫りにした(アメリカのための家)でダン・グレアムがカラー写真を使った1つの理由はそこにある。もともとは「エスクワイア」のような雑誌に発表し、意外性のある中綴じ頁にするつもりだったようだ。彼はそれ以前に、「ハーパーズ・バザール」紙上で(具象)という作品を発表し。まんまと人を驚かせたことがある。ところが今回は「アーツ・マガジン」への掲載しか話がまとまらず、しかも作品の意図を把握できなかった編集部は写真1枚だけを掲載し、あとはボツにしてしまった。現在ふつうに見られるこの作品は、オリジナルの作品にのっとったリトグラフである。また、もともとは7点だったのに、今では13点の写真をコラージュしたバージョンもある。この作品には、これだという、たった1つの決定版はない。
最近になってジェフ・ウォールが、この作品こそ、コンセプチュアル・アートの自己言及製を脱して、写真の構築的でしかも批判的な活用へといたる道を確立するのに不可欠なものだったと主張し、次のように述べている。
「コンセプチュアリズムにはよく見られたことだが、規制の芸術形式の支配を打破して、それを明快に批判する。これはその試みだ。だが、「アート・アンド・ラングエージ」がやっているような、もっとアカデミックなタイプのコンセプチュアル・アートの場合は負の意味でしか芸術作品を成立させられない、そういう矛盾に満ちた状態がある。芸術の条件、それを自分たちで満たす気はさらさらないのに、それを公言する。それが彼らのやり方だからだ。だが彼らとは異なり、ダン・グレアムの場合は、報道写真のようなフォーマットを使ったために、分離可能な、差別化の可能な主題をもっていることが要求される。コスースや「アート・アンド・ラングエージ」にありがちな、第一原理(論理の基礎となる公理、定理、概念など)の演習よりちょっとましな程度の芸術気取りの身振りをするのではなく、グレアムはジャーナリスティックな主題に特有の力学を利用して、アートの制度的な現状分析を実現した。」
換言すれば、この作品は芸術の現状と世界の現状の分析だった、というのである。

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