坂本龍馬と西郷隆盛の比較

年代 坂本龍馬 西郷隆盛
1828年
1836年

坂本龍馬生まれる

(1836年01月03日)

1839年

右腕内側を切られる

(1839年)

郷中仲間と月例のお宮参りに行った際、他の郷中と友人とが喧嘩…

1841年
1844年

郡奉行迫田利済配下となる

(1844年)

郡方書役助をつとめ、御小姓与(一番組小与八番)に編入された。

1846年

母・幸が死去

(1846年)

1847年
1848年

小栗流和兵法を学ぶ

(1848年)

12歳の時、小高坂の楠山塾で学ぶが退塾。14歳で高知城下の日根…

1852年

結婚

(1852年)

父母の勧めで伊集院兼寛の姉須賀(敏(敏子)であったとも云わ…

1853年

剣術修行のため江戸へ

(1853年)

剣術修行のため江戸(東京都)に出て、北辰一刀流剣術開祖千葉…

家督相続を許可された

(1853年02月)

督相続を許可されたが、役は郡方書役助と変わらず、禄は減少し…

ペリーが浦賀に来航

(1853年12月)

攘夷問題が起き始めた。

1854年

土佐煮帰郷

(1854年)

土佐に帰郷。画家の川田小龍から西洋事情を学ぶ。

江戸詰に任ぜられる

(1854年)

上書が認められ、斉彬の江戸参勤に際し、中御小姓・定御供・江…

庭方役となる

(1854年04月)

庭方役となり、当代一の開明派大名であった斉彬から直接教えを…

妻が実家に引き取られる

(1854年11月)

貧窮の苦労を見かねた妻の実家、伊集院家が西郷家から須賀を引…

1855年

西郷家の家督を継ぐ

(1855年)

善兵衛から吉兵衛へ改める(8代目吉兵衛)。

1856年

再び江戸へ

(1856年)

再び江戸・小千葉道場に遊学。

1857年

山本琢磨を逃がす

(1857年)

盗みを働き切腹沙汰となった仲間の山本琢磨を逃がす。

藍玉購入の斡旋

(1857年11月)

藍玉の高値に困っていた下関の白石正一郎に薩摩の藍玉購入の斡…

密書を越前藩主松平慶永に持って行く

(1857年12月)

江戸に着き、将軍継嗣に関する斉彬の密書を越前藩主松平慶永に…

1858年

北辰一刀流免許皆伝

(1858年)

剣術修行を終えて帰国。北辰一刀流免許皆伝。

殉死しようとする

(1858年07月27日)

京都で斉彬の訃報を聞き、殉死しようとしたが、月照らに説得さ…

1861年

土佐勤王党結成

(1861年)

3月、土佐で井口村刃傷事件が起り、龍馬の属する下士と上士の間…

1862年
文久2年

脱藩

(1862年03月)

3月に沢村惣之丞とともに脱藩した。その直後に勤王党による吉田…

1863年
文久3年

神戸海軍塾の塾頭をつとめる

(1863年)

勝が進める神戸海軍操練所の設立に尽力し、操練所よりも先に開…

1864年
文久4年

神戸海軍操練所創設

(1864年)

神戸海軍操練所が創設された。龍馬はこの頃、弾圧が激しさを増…

1865年
元治2年

薩長同盟への運動を開始

(1865年)

京の薩摩藩邸に移った龍馬の元に中岡慎太郎らが訪問。この頃か…

1866年
慶応2年

薩長同盟が結ばれる

(1866年01月)

坂本龍馬の斡旋により、京都で長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩…

1867年
慶応3年

海援隊創設

(1867年)

土佐藩との関係を修復して海援隊を創設した。4月、いろは丸沈没…

暗殺される

(1867年12月10日)

京都の旅寓・近江屋(京都市中京区)で何者かに中岡慎太郎と共…

1877年
明治10年

死去

(1877年09月24日)

城山決戦で被弾し、切腹した。