武州府中六所宮祭礼御幣腰掛米につき取替証文二通
(1695年02月08日)多摩市史 資料編二 近世 文化・寺社 より
P.500
1 元禄8年(1695年)2月 武州府中六所宮祭礼御幣腰掛米につき取替証文二通
一札之事
一、武府六所宮毎年五月五日御祭礼ニ付、御幣為腰掛米
弐俵、但京升三斗五升入、毎年五月五日二無僻怠共方
へ相渡シ申定二御座候、為共証文如此二候、以上
武州府中
元禄八年亥二月日
高橋兵右衛門
一之官神主
太田權之丞殿
参
一札之事
一、武州六所宮毎年五月五日御祭礼二付、御幣為腰掛米
弐俵、但京升三斗五升入、毎年五月五日二請取申侯、
右之米之内五升者五日之晩之入用二其方江相渡シ申定
二御座候、為共証文如此侯、以上
武州一之宮神主
元禄八年亥ノ二月日
太田權之丞
高橋兵右衛門殿
参
〔大国魂神社文書目録D22-P-4・5〕
〔解鋭〕慶応四年五月成立の「武蔵総社誌 下巻」に「一ノ宮ノ両官本社へ帰る時、高橋某御供米二俵を献る、是レを御腰掛俵と称す、或は御輿懸俵ともいふ」また、元治元年四月の「武
蔵総社年中行事」(ともに「武蔵総社大国魂社史料 第一輯・第二輯』所収)に「高橋獻二御供米二苞、称之ヲ御腰掛俵(オコシカケタハラ)、或ハ云御輿懸俵(オコシカケタワラ)」とある。
六所官の例大祭の五月五日、祭礼に参加のため府中にきた一之官の神主太田は、まず神人で一之官の輿役である高橋家に寄る。そこへ神主家より運ばれてきた、当夜お旅所で八基の御神輿へ捧げる御幣を入れた長櫃の清祓を行なう。畢って、高橋氏付添いで長櫃は坪の官(国造神社)に届けられる。
そして深夜、この祭で重要な神事、国造代奉幣が行なわれるのである。
この御幣清祓について、太田、高橋間に御供米二俵の授受が行なわれたのである。御腰懸俵または御輿掛俵という言葉の意味は不明である。
なお、元禄八年の段階で、なぜこの資料が作成されたのか。
考えられる理由の一つは、神役の交代である。
前任者は、『武蔵総社誌』のいう坪ノ宮の旧社地の所有者、本町の市川郷右衛門であろうか。
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