一之宮(多摩小野神社)の神輿 例大祭当日府中に
(1821年05月02日)文政四年(1821年) 五月二日
六所宮神主日記(府中市郷土資料集10)より
以下にて、多摩小野神社(総社六所宮においては、武蔵一之宮)から、神輿が五月五日に来ることになったいきさつが書かれています。
新調か再興か、小野神社の神輿が出来たことがきっかけで、この日記の前年、文政三年(1820年)、例大祭に参加したいとの意向が神社に伝えられた。
例年、一之宮からは、例大祭に神官が来ていることが記されている。やはり、最も近いということで、普段つき合いもあったことがうかがわれる。
しかし、元々、六所宮は、六社の御霊を分霊合祀してしまっており、わざわざ、同じ神様に来ていただく必要が全くない。
(ここでは、そこまではっきり触れていないが、)
「過去のことも良くわからないが、折角、神輿が出来たのだから、取りあえず、本町までは来ても宜しい。ただし、神事には一切参加する必要がない。」
と伝えている。
これが、昭和34年まで、多摩小野神社の一之宮神輿が、五月五日の日に多摩川の渡し経由で(関戸橋ができてからは、関戸橋経由で)、担がれてきたスタートである。
去年一ノ宮神輿之儀差掛リ候事ニ而取斗置候所、此度社中相談之上、一ノ宮ヘ人遣し呼寄申聞ル
一ノ宮神輿持来候事、古例相糾候所旧年打絶候事故、先例聢与相分りかね候、右ニ付神輿折角出来之儀ニ候故、旅宿本町兵右衛門方迄往来共持参之儀者不苦存候、此方神事ニ打交ヘ相用ひ候儀者無用たるへき旨申聞ル
※聢与 しかと
※不苦存 くるしからず=かわまない
※者 も
※申聞ル もうしきかせる
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