総社六所宮 本殿修復上遷座式

(1844年09月13日)

武州多摩郡連光寺村 名主 富沢家日記

天保(てんぽう)15年(1844年)9月13日

この年、本殿修復につき上遷座式が行われ、今で言う役員や近隣在郷の名士70人ばかりが参加。

神輿八基が拝殿内に並べられ、それぞれが本殿に遷された。

いったい、西東中から出る神輿とは、それぞれ何だったのか?

新宿・番場・本町がそれを手伝う。

(八幡宿は神領で、直接にお宮の様々なお手伝いをしていたんでしょう)

最後に、神仏混交の時代。般若心経を読んで終了。

武州総社六所宮本殿内宮修復出来ニ付

上遷座之式行れ候間神輿供奉之為

内藤次右衛門同道ニ而

夕六ツ時神主猿渡江着 裃ヲ着し宿内

重立候は幷近村身分柄之もの合せて七拾余人

神主社家一同六ツ半時六所宮拝殿江誥

儺内ニ菰を敷 暫ク休足 神楽祝詞相済

夫より段々役割を以 御道具を運ひ

夫より挑灯を消させ闇夜にて

西乃拝殿より出る神輿ハ府中新宿八人ニ而請取

東之拝殿より出る神輿与番場組八人ニ而請取

番場組之内江自分も加ル

中乃拝殿より出る神輿ハ本町組八人ニ而

受取何れも覆面無言ニ而供奉す

前後御宝器行烈内陣迄持込神主社家江渡

御遷座相済候後挑灯ヲつけ

白州ニ而神楽幷奉幣祓等之式相済

一同神主方江引取剛飯出ル

夫より拝殿ニ而大般若転続相済入仏之式本地堂ニ而

相済神主方江引取未明之頃起出直様ニ帰宅致候

供奉:行幸や祭礼などのときにお供の行列に加わること。また、その人。おとも。

ニ而:にて

重立(おもだち):近世,近代日本農村における村落内の上層身分階層の通称。多くは特定の土地所有資格者により構成され,村落の運営機構を支配した。

幷:ならびに

遷座祭:神社の祭神の御霊代(みたましろ:神霊)を常の座所である本殿から仮殿あるいは権殿(ごんでん:仮殿、権殿ともに神霊を一時奉安する仮の建物の意)へ、逆に仮殿あるいは権殿から本殿へ遷し奉る祭儀で、前者を「仮殿遷座祭」もしくは「外遷座祭(下遷座祭)」(げせんざさい)と称し、後者を「本殿遷座祭」もしくは「正遷座祭(上遷座祭)」(しょうせんざさい・じょうせんざさい)と称す。

同道:連れ立って行くこと。連れて行くこと。同行。

転続:お経の初めと中ほど、終わりを読誦するもの

剛飯:多分、強飯(こわめし)=おこわのことか?

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