神亀6年(西暦729年)3月16日、長屋王が自殺。(長屋王の変)
(1001年)(※このサイトでは、西暦1000年より前が入力できないため、便宜的に1001年としています。)
そこで尾田さんは、
この3首に出てくる人
(膝を枕にしたい人、うるはしき君、我が背子)は
すべて長屋王を指していると
新説を提起する。
「藤原氏といっても一枚岩ではなく、
房前は
長屋王や旅人に近い立場で政治を動かしていた。
旅人と房前は他人には分からないように、
共に力を尽くした長屋王への親愛と憐憫(れんびん)、
そして無念の情を歌い上げたのではないでしょうか」
長屋王は、
平城京北東側の佐保の地に
作宝楼(さほろう)という
文化サロンを設けて
季節ごとに詩歌の宴を開き、
房前も参加したことが知られる。
長屋王の変から約1年後に、
旅人が長屋王をしのんだ「梅花の宴」。
天から梅の花が散る情景の
意味はもう明らかだろう。
令和のもとになった宴には、
さまざまな思いが隠されているようだ。
https://www.sankei.com/west/news/190512/wst1905120003-n2.html
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