【海部俊樹】「日米構造協議」が始まる。

(1989年09月04日)

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通産大臣は、松永光。(宇野さんと同じ中曽根派)

https://ja.wikipedia.org/wiki/第1次海部内閣

https://ja.wikipedia.org/wiki/日米構造協議

https://ja.wikipedia.org/wiki/宇野宗佑

平成元年の日米首脳会談の席上、
米国のブッシュ大統領が
宇野宗佑総理大臣に提案して、
日米構造協議が始まった。

それは、プラザ合意後 の円高ドル安にもかかわらず
膨らむ一方の対日貿易赤字に業を煮やした米国が、
貿易不均衡の 要因は
日本の市場の閉鎖性(非関税障壁)にあ るとして、
日本国内の政策・制度・慣行などの 改善を迫るものであった。

平成元年 9 月から平 成 2 年 6 月にかけて行われた協議で、
米国側は、
日本企業の排他的取引慣行、
系列などと並んで、
大店法も俎上に乗せた。

メーカーの系列下 になく、
外国製品を自由に販売できる大規模店の出店が規制されているため、
外国製品の販売 が 阻害されている
という論理であった。

交渉の結果、日本は、
届出のすべての受理、
出店 調整期間の 1 年半以内への短縮、
輸入品売場や 閉店時刻・休業日についての規制緩和、
商調協 の審議内容開示等
出店調整プロセスの透明化などの措置とともに、
次期通常国会における大店法の改正と
その後の見直しを約束させられた。

日米構造協議については、日本国内の世論は、
経済制裁をちらつかせながら他国の慣習の改変を迫る
米国の姿勢に反発する一方、
大店法や複雑な流通機構は
消費者の利益を侵害しているという米国の意見に
同調する意見も多かった。

例えば、大店法では政令ベースで、
大規模店舗 の営業時間を規制していたが、
社会の生活パ ターンが夜型に変わり、
働く女性などから
閉店時間の延長を求める声が
あがるようになっていた。

米国のレーガン大統領や
英国のサッチャー首相の政策の影響で、
わが国でも「規制緩和」が論議され始めていた。(p.83)

http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/pdf/071604.pdf

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